埜庵では、3年勤めるとのれん分けしてもいいということにしています。3シーズンくり返すとメニューの完成度も上がるし、よい夏も悪い夏も、だいたい経験します。
かき氷の習得だけで3年は長いと思う人は多いかもしれない。でも本当に感じてほしいのは、先も見えないかき氷屋が「きみを3年雇用する」と約束するのがどれくらい大変かということ。
働いているときは文句を言いたいことがいろいろあるかもしれないけれど、自分で開業して人を雇用することになったとき、初めてその困難さに気づく。もし開業するのがかき氷屋なら、その難しさは身にしみてわかると思います。
そうなって初めて、雇う側としての意識に変わる。レシピを共有する人に、レシピ以上に大切に伝えたいのはそのことです。
「埜庵のかき氷」を追求して
ここ数年は、新しい食材だけでなく、エスプーマを使ったものやケーキの形をしたものなど、いままでにない技法を駆使したかき氷が「進化系」と呼ばれるようになりました。
質感を競うということが、私からみるとちょっとエスカレートしているようにも思えます。でも、こうした「進化系」が、ここ10年くらいのかき氷の主流というのは間違いないのかもしれません。
お客さまが望むものを提供する。それはもちろんよいことだと思いますが、埜庵のかき氷とはちょっと方向性が異なってきたと感じるようになりました。
「埜庵のかき氷をひと言でいうと?」と、取材のときによくたずねられます。
かなり難しい質問で答えに窮してしまうのですが、いつも思っているのは、「日本独自のかき氷のかたちを踏襲していきたい」ということ。日本のかき氷は「水を食べる」もの。日本料理では水を大切に考えますが、かき氷も日本料理のうちというのが私の考えです。
だから、「シンプルに氷を削って、シロップをかける」。そのふたつの行為だけでおいしさを表現することにこだわっています。
そこに何かを加えるより、加えないほうがよほど勇気がいる。そのためには、できる限りよい食材を使い、その食材のいいところを引き出してみなさんにお届けしよう、と常に考えています。
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