「授業中の水分補給禁止」学校が大炎上した必然 生徒を束縛するブラック学校へのモヤモヤの正体
内外からの指摘を受けて、改善に動くのであれば、まだ「時代錯誤だったね」で終わるので、炎上にはつながりにくい。ただ、そこで「アップデートを拒んでいるように思える態度」が表れてしまうと、バッシングの嵐となる。
人権意識の変化は、子どもの話に限らない。教職員についても、これまで「聖職だから」との建前のもとで、過重労働が前提となっていたが、ここ数年ようやく「働き方改革」の一環で、負担軽減を求める声がでてきた。
そこへ来てのコロナ禍だ。コロナ禍以前から進められていた「GIGAスクール構想」が前倒しされる形で、全国の学校にタブレットなど教育用端末の導入が進められた。家庭内から参加するオンライン授業も珍しくなくなった結果、「校舎内での風紀」を前提とした従来の校則は、存在意義が揺らぎつつある。
もっとも感染拡大が収束したことで、「リアル登校」への回帰は珍しくない。しかし自粛を余儀なくされた3年間は、中学でも高校でも、すっぽり学校生活があてはまってしまうほどの期間だ。「新しい生活様式」は、すでに死語になりつつあるが、少なくとも当時は「この変化は一時的な措置ではなく、生涯続くかもしれない」と、先が見えない不安の中で、覚悟していた人も多かっただろう。覚悟を決めてまで変えた習慣なのに、すぐさま「はい、じゃあ元に戻してください」と言われても……と、私であれば困惑する。
そして、ネットメディア編集者としては、SNSの普及にも触れなくてはならない。スマートフォンの普及によって、児童や生徒みずからが「学校の外」を知りやすくなった。その結果、ギャップの可視化が進み、自分の置かれた環境に、強い違和感を覚える子どももいることだろう。より広い視野を持っているはずの保護者も、SNSを通して、自身が「井の中の蛙」だと気づくケースはあるだろう。
わずか20年の間にも、状況は変化している
ここまで見てきたように、旧態依然とした内容の校則は、日に日に批判にさらされている。この状況を打破するためには、子どもたちと保護者、そして教職員が一丸となって、価値観のアップデートを試みるしかない。
筆者は教育の専門家ではなく、教員免許すら持っていないが、「校則」については強烈な原体験がある。校則に抑圧されていたワケではなく、むしろ中学も高校も公立ながら制服すらない学校に通っていた。
私の通っていた都立高校では、「自主自律」を重んじる校風ゆえ、学校側が決めた校則ではなく、みずからが決めた自主規則に沿って生活する形式がとられていた。生徒ではなく「学友」と呼び、受験生を対象に、学友会が主催する学校説明会を行う。そんな母校で筆者は、1つ上の先輩らとともに「学友会則」の全面改定に携わった。
毎週のように会議を開き、条文の1つひとつを眺めていく。「現代にあった読みやすい表現にしよう」との思いから、「於いて」を「おいて」に、「即ち」を「すなわち」に……など、細かい表記までチェックを重ねた。また同時並行で、学友会の役割についても見直し、業務分担を整理したうえで、各委員会を統廃合する作業も行った。いずれも各委員長との議論を繰り返し、全学友を対象にしたアンケートも踏まえて進めた。
この高校時代の経験は、アラフォーになった筆者にとって、「青春期の成功体験」になっている。とはいえ、いま思うと、16歳やそこらの若造にできることは限られている。顧問は一連の流れを見守ってくれていたが、おそらく同僚の教諭からは、「好き勝手にやらせすぎだ」と反対意見も出ていただろう。理解ある教員が防波堤になってくれたからこそ、のびのびと「自主自律」を満喫できた。
あれから20年がたった今、さらに状況は変化していることだろう。当時はスマートフォンもなく、携帯メールと自宅パソコンを駆使する時代だった。SNSでいえばツイッター(現在のX)の誕生直前で、国内にはmixiがあるものの、年齢制限で高校生の多くは禁止されていた。そこからの変化を見ると、わずか20年前の価値観でも、さらなるアップデートが必要に思える。新しい学校のルールは、そのうちじゃなくて、いますぐ必要なのだ。
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