男児4人の母はなぜ「起業」を選んだのか 子だくさんワーキングマザーの仕事論<4>

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そんな小野さんは大学院で音楽学を専攻。近代日本を代表する作曲家・山田耕筰の研究に没頭していた。その後、楽譜制作の研究所に就職。音楽研究に携わりながら働いた。この先独身でもいいから仕事を極めたいと考えていたが、社会人になって2年で結婚。翌年には第1子を妊娠・出産する。産後は職場復帰を予定していたが、放送局に勤める7つ上の夫に、1年間のフィンランドでの研修話が持ち上がる。一生に一度、あるかないかのチャンスに、一家で短期移住を決意した。

価値観を一変させたフィンランドでの生活

フィンランドに移住してほどなく、小野さんはホームシックにかかる。これまでまったく触れたことのなかったフィンランド語が、まったく理解できず、大きな言葉の壁にぶつかったのだ。そこで、子どもを預け、オープンカレッジの語学講座へ通ってみると、教え上手な先生のおかげで魔法のように言葉が頭に入ってくるようになった。言葉がわかると自分で情報を選択できるようになり、目の前にかかっていた霧がみるみる晴れた。

29歳で帰国すると、音楽研究に対する熱意が薄れ、これまで積み重ねてきた成果があるのに、そこには戻れない自分がいた。1年間のフィンランド生活で価値観がすっかり変わってしまったのだ。かといって、次に何をやりたいのか、まったく見えない。研究意欲も情熱を注ぎたいと思える仕事もなくなっていた。

「研究職は非常にクリエイティブな世界なので、強いモチベーションがないと絶対に続けられない。自分の行く先が見えなくて、専業主婦生活の中、毎晩茶碗を洗いながら、キッチンで泣く日々がしばらく続きました」

第2子を出産したのはそんなタイミングだ。2人の子どもに恵まれるも、30歳までの日々はこれまでで最もつらかった時期だという。

転機は「このままじゃダメだから、何か始めよう」と、子どもを保育園に預けたことで訪れた。そこで出会ったママ友が、外国人相手の日本語教師だったのだ。話を聞くうちにフィンランド語の先生の姿が思い出され、自分もなりたいと思うようになった。早速、通信講座で勉強し検定試験に合格した。

「試験勉強中は何者でもない自分に焦っていました。母親というアイデンティティだけではダメ。私は職業人としての自分もいないと満足できないタイプだったんです。母が保健師としていきいき働く姿を見て育ったので、働くのが当然という価値観が築かれたのかもしれません」

6年ぶりの職場は日本語学校。非常勤講師として90分のコマを1日2〜3コマ担当し、2校を掛け持ちして毎日教壇に立った。仕事が面白くなり、徹夜で授業の準備をするほどのめり込んだ。そんな中で、3人目の子どもを妊娠する。2人目を自宅出産した際の体験が忘れられず、ぜひもう一度と望んで授かった子どもだった。

次ページ日本語教師として仕事にのめり込むが…
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