会社は起業3年目で単年度黒字を計上した。最初の売り上げが立ったのは起業して半年後。半年間は収入がなく、おカネを生み出すことの大変さを痛感しながら、アポを取るために毎日50件の電話をかけ、足を使い、決して手を抜くことなく取引先や留学生との関係性を構築してきた、そのたまものだ。
子育ては緩やかに、会社経営を頑張りたい
語学教師時代にいちばん楽しかったのは、留学生とのふれあいだったと振り返る小野さん。教壇から離れた後も、留学生たちに会いたくて仕方がなかったという。日本人にとっては、想定外の意外な価値観に日々触れることが、何にも代えがたい経験だった。
そうした経験は、無意識のうちに小野さんの価値観にも影響を与え、気づけばさまざまなことに対して許容範囲がグッと広がった。子どもたちに対してもいつの間にか「日本の細かなルールばかり気にしていても世界では通用しない。自分たちの好きなようにやればいい」と思うようになったという。そうした価値観は夫にも伝わり、小野家の子育ては実におおらかになった。
これまでのさまざまな努力が実を結んで目指す方向が定まり、家庭のほかに会社というベースも構築できて、さらにこれから上に積み上げていくという段階にある。そんな小野さんの、今いちばん大切なものとは。
「やっぱり、子どもたちですね。私が帰宅後、電池切れのようにダウンするほど仕事に邁進していても、幸い、今のところはみんな元気に学校に通ってくれている。それって、つくづく幸せなことですよね。この状態が続くのであれば、子育ても今くらい緩やかな感じで、会社経営を頑張っていきたいです」
社会の多様化や複雑さが進むにつれて、異文化社会を語る際に、他者に対するトレランス(寛容性)という概念が重視されつつある。小野さんの活動は留学生と日本企業という異なるもの同士をつなぐ場で必要とされ、多様な価値観を飲み込む、懐深い社会づくりに貢献していくに違いない。
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