財政社会学者の井手英策さんは、ラ・サール高校→東京大学→東大大学院→慶應義塾大学教授と、絵に描いたようなエリート街道を進んできました。が、その歩みは決して順風満帆だったわけではありません。
貧しい母子家庭に生まれ、母と叔母に育てられた井手さん。勉強机は母が経営するスナックのカウンターでした。井手さんを大学、大学院に行かせるために母と叔母は大きな借金を抱え、その返済をめぐって井手さんは反社会的勢力に連れ去られたこともあります。それらの経験が、井手さんが提唱し、政治の世界で話題になっている「ベーシックサービス」の原点となっています。
勤勉に働き、倹約、貯蓄を行うことで将来の不安に備えるという「自己責任」論がはびこる日本。ただ、「自己責任で生きていくための前提条件である経済成長、所得の増大が困難になり、自己責任の美徳が社会に深刻な分断を生み出し、生きづらい社会を生み出している」と井手さんは指摘します。
「引き裂かれた社会」を変えていくために大事な視点を、井手さんが日常での気づき、実体験をまじえながらつづる連載「Lens―何かにモヤモヤしている人たちへ―」(毎週日曜日配信)。第10回は「団塊ジュニアに生まれて」です。
上京と同時に、バブルはあっけなくはじけた
私たちはつくづく<時代>に愛されなかった世代なのかもしれない。
私は1972年に生まれた。いわゆる団塊ジュニア世代だ。翌1973年にオイルショックが起き、安定成長時代が始まったから、高度経済成長期、最後の世代ということになる。
とはいえ、飛ぶ鳥を落とす勢いだった高度成長の記憶などまったくない。ジュリアナ東京のお立ち台や土地転がしなど、バブル期の話題なら記憶になくはないが、大学に合格して東京に出てくるのと同時に、バブルはあっけなくはじけてしまった。
私たちが就職活動を行った1994年は、有効求人倍率が1980年代前半水準にまで落ちこむ最悪な年だった。まさか、自分たちが、就職氷河期世代、ロストジェネレーションなどと呼ばれるようになろうとは、思いもしなかった。
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