沈む日本、いま必要なのは「団塊ジュニアの反抗」だ 「物価高で定額減税」の矛盾を無視していいのか

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私が博士課程に進んだのは1997年だ。この年にアジア通貨危機が起き、デフォルトがささやかれる国があらわれた。国際経済は大混乱、翌1998年には1974年以来となるマイナス成長を日本経済は記録した。

団塊ジュニアという名前からわかるように、私たちは団塊の世代に次ぐ「ボリュームゾーン」として生きてきた。

ただ、団塊世代が高度経済成長の恩恵を受けてきたのとは正反対で、時代の節目、節目で痛い目にあってきた。多くのカップルが結婚や子どもの出産をあきらめるしかなく、それが現在の少子高齢化問題の理由の1つともなっている。

私たち世代の記憶のほとんどは、「長期停滞」によって彩られている。ズルズルと暮らしのレベルが落ち続け、気づくと日本中に外国人があふれ、私たちにとって海外旅行は高嶺の花になりかけている。

ゆっくりと弱りゆく経済。

だが、友人に聞かされた話は、それとはまったく違う印象を私に与えた。

歴史的な転換点となった1998年

「CDの売り上げのピークって1997、1998年なんですよね。それ以降、シングルのミリオンヒットが、突然、激減して、ほとんど出なくなってしまったんですよ」

おどろいた私は、書籍の販売金額をあわてて調べてみた。すると、こちらも、1997年に初の前年割れを記録し、それ以降、減少傾向が続いていた。どうも1990年代の後半に何かが起きたようだ、と直感した私は、さまざまなデータを調べてみた。

いちばん衝撃的だった数字から紹介しよう。それは、1998年に企業部門が資金余剰(=黒字)部門に転じていたことだ。企業は、明治期にデータを取り始めるようになってから一貫して資金不足(=赤字)部門だった。

私たちは将来不安に備えようと銀行にお金を貯める。資金が不足している企業は、私たちが銀行に預けたお金を借り、これを積極的に投資に振り向けて経済を成長させてきた。これが近代日本における大前提だった。

ところが、1998年に企業は、資金余剰部門になった。借金をしてでも投資を行うのが常だった企業が、手元資金の範囲内でしか投資をしなくなった。戦前から続いたお金の流れが完全に変わってしまったのだ。

銀行からの借金に頼らないとすれば、企業は投資資金を自分で用意するしかない。標的になったのが人件費だ。雇用の非正規化が進みはじめ、1998年以降、勤労者世帯の実収入は減少の一途をたどった。

激動した日本経済。雇用の不安定化や賃金の下落は、当然、社会にも大きな影響を与えた。

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