いまの日本はどうか。目先の物価高に心を奪われ、そのために論理的に矛盾した政策が公然と行われようとしている。バラマキが当然視され、インフレに歯止めがかからなくなったとき、私たちは先進国から脱落することになるだろう。
過去の30年を見ればわかるように、私はかつてのような経済成長を実現するのは難しいと思っている。
他の先進国並みの成長を実現する方法を考えるのは当たり前だ。だが、本当の核心は、成長に依存せずとも暮らしていけるよう、財政の生活保障機能を強めていくことではないだろうか。
私たちは医療や介護、教育費の負担におびえ、なけなしのお金を蓄えて、将来不安に備えようとしている。そのような社会で消費が伸びるわけがないし、わずかな減税など焼け石に水でしかない。
日々の暮らしに追われる私たちが<脱・成長>を実現するのは大変だ。だが、生活保障を強め、<脱・成長依存>への努力を重ねれば、将来不安から人びとが解放され、経済成長もいまより高い軌道を描くことになる。
もちろん、新たな財政システムを議論する以上、財源問題から目をそらすべきでないことはいうまでもない。
団塊ジュニア世代に課せられた使命
私たち団塊ジュニア世代は、時代に嫌われた被害者だった。だが、被害者だからといって、働き盛りである私たちが事態を放置してしまえば、今度は歴史の加害者になってしまう。目前の火事に気づき、それを放置することは、罪を犯すに等しい。
私たち世代はさまざまな苦しみに耐えてきた。だが、その結果として、生活防衛に走ってしまい、少子高齢化を加速させてしまった。
そんな私たちだからこそ、いまの将来不安の根元がどこにあるのかをよく知っている。だからこそ、私たちは、日本社会の未来を本気で構想する責任を負っているのではないか。
団塊ジュニア世代が次世代に責任転嫁することなく、きびしい現実のなかで立ちあがれるかどうか。そこにこの国の不沈がかかっていると私は思う。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら