1年で1割退学「崩壊する都内底辺校」の教育現場 タバコ・喧嘩・妊娠で退学が日常茶飯事だった

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「勉強することがマイナス」という長瀬さんの高校に広がっていた価値観は、彼らの過酷な環境や、成功体験の少なさとも関係があるようでした。

「高校の同級生は、両親のどちらかがいない家庭が多かったようです。また、勉強だけではなく、何かを頑張って成果をあげたことがある人が少ないと感じました。『努力することがダサい』と思っていて、人の努力に対して無関心どころか、否定的だったのは、そうした要因もあり、自己肯定感が低いことも大きいのかなと思います」

生徒も学校自体も、勉強を教えること、教わることについては諦めムードが漂っていたそうですが、進路に関しては、多くの生徒が推薦で入れる大学か、専門学校に進学していました。

「就職する人は1割前後で、一般受験をする人は指で数えられる程度でした。学校に来ている指定校推薦で、いちばん偏差値の高い学校が東洋大学だったのですが、評定平均5段階のうち、3年間で4.9を確保しないと推薦してもらえませんでした。その水準を確保することはほぼ不可能で、毎年誰も推薦を取れません。1年生のころの私も、評定平均3.5で、条件には全然足りませんでした」

まさかの先生たちからのサポート

しかし、そんな長瀬さんは1年の浪人を経て、慶応義塾大学に合格します。

濱井正吾 底辺校 教育困難校
慶応に合格した長瀬さん。写真は入学式のときのもの(写真:長瀬さん提供)

ずっと現役で偏差値40台だった彼は、浪人で受けた最後の模試もE判定だった慶応義塾大学の文学部に見事合格しました。その合格の秘訣は奇しくも、かつて長瀬さんが高校に通っていたときには、受験指導をなかなか受けることができなかった先生方からの献身的なサポートでした。

「高校を卒業するタイミングで挨拶に行った際、高校時代にちゃんとした受験指導ができず、不憫に思った国語・英語・日本史の先生が『(受験勉強を)助けてあげられなくてごめん』って言って下さったんです。その際、先生方は「何かあれば相談してね」と連絡先を下さいました。

それから、1年間のスケジュールを3人の先生と一緒に相談して、勉強計画を立ててもらったり、定期的に連絡もいただきました。それぞれの科目に精通している方に相談できる安心感が、自分の受験勉強の支えとなりました」

合格の報告をした際には、先生方はとても喜んで下さったようで、英語の先生は「合格おめでとう!」と書かれたケーキを用意して下さったそうです。

長瀬さんは教育困難校を経験したことに「後悔はない」と言います。

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