1年で1割退学「崩壊する都内底辺校」の教育現場 タバコ・喧嘩・妊娠で退学が日常茶飯事だった

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長瀬さんは、高卒の両親のもと、東京都で生まれ育ちました。祖母・姉・妹と一緒に住む、6人家族でしたが、親戚を含めて大卒者が1人もいなかったそうです。

「私が生まれ育った地域は、都内でも田んぼがあるような、のどかでのんびりした場所でした。『勉強をしなさい』という家庭ではないので、塾には通わないまま、公立中学校に上がりました」

小学の成績は「普通」だった長瀬さんですが、中学1年生の最初の定期試験で、初めて「勉強ができない」ことに気づいたそうです。

「中学のテストでは、しっかり対策しないと点数が取れなくなってしまいました。私は小学校時代の基礎がまったくできておらず、そもそも試験対策をする必要があることすら、自覚していませんでした。5段階評価はすべて2~3。授業態度は悪くなかったので、1は取りませんでしたが、ここで初めて自分は『学力的にほかの人より劣っている』ということを実感しました」

中学2年生になるころには、「もう勉強では周囲には追いつけないと、諦める気持ちがあった」そうですが、学力を頑張って伸ばそうとは思わないまま、時間だけが過ぎ、受験シーズンに突入しました。

「中3になって、先生に『このままだと、行ける高校はないよ』と言われたのは覚えています。親からは『私立高校は(学費が)高くて、通わせられない』とも言われていました。一般受験のために勉強をしても間に合わないため、確実にいける通学圏内の普通科高校を探し、そこに推薦で進学しました」

入る前から「あの高校だけはやめておけ」

彼が進学したこの高校こそ、当時偏差値が40の、いわゆる「教育困難校」だったのです。

「入学した高校は、ヤンキー校として有名でした。入る前から『あの高校はやめておけ』と周囲に言われていました。私も実際に入学するまでは不安だったのですが、『とりあえず高校生になりたい』とは思っていましたし、勉強ができなくても、好きなことにのめり込んでいる生徒がいるイメージだったので、自分と同じような価値観の人とも出会えるだろうと思っていました」

しかし、特段進路について意識しないまま高校に入ってしまった長瀬さんは、入学してからその環境に驚いたそうです。

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