ここで言うノイズとは、あらゆる複雑なプロセスが本質的に抱えるランダムな側面を指す。冬から春になるとき、気温が毎日1度ずつ上がるわけではない。株価は1日1日、毎週毎週、10年ごとでさえ、大幅に変動する。
「一貫性がない」のは悪いことではない
にもかかわらず、専門家でさえも「ノイズがないのは有望で魅力的だ」と思うことが珍しくない。「ノイズはどこにあるのか?」と問えば、滑らかなパフォーマンスを疑わしい目で精査するきっかけになる。
一般的に、個人も組織も、人間の行動のノイズを排除すべき問題と考えている。けれど、誰かにだまされたくないとき、ノイズは私たちの味方になる。どの程度のノイズが発生するかを予測する単純で普遍的な目安はないが、ある人の成果にノイズがなさすぎて真実とは言い難いかどうか評価するのに役立つ、3つの原理をご紹介しよう。
第2の原理――「気づくためにも一貫性に注意を払う必要がある」
第3の原理――「疑わしいパフォーマンスが、第三者のパフォーマンスより一貫性があるかどうか確かめよう」
一貫性の欠如を危険信号と見なすのは不合理なことではない。取り調べのたびに話の内容が食い違う容疑者は嘘をついている可能性が高い。税務申告の際には当局に自分の資産は大した価値がないと言うのに、有利な金利でローンを組みたいときには自分の資産には何倍もの価値があると銀行に言う大物実業家は、きっとどちらかに嘘をついている。
だが、一貫性がないことがすべて悪いわけではない。私たちは「強力なリーダーは信念を絶対変えるべきではない」と往々にして思うし、対抗勢力は、政策転換を「flip flopping(意見をコロコロ変える)」とか「playing politics(政治的利得のために行動する)」と批判する。
しかし、偉大なリーダーは、現実が変われば、考えを変えることを厭わない。新たな事実に対応して信念をアップデートするのは、理にかなっている。
残念ながら、ノイズは不当に悪者扱いされている。私たちはむしろノイズがあるのは当然だと見なし、「ノイズがない」ことを問題にすべきなのだ。
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