「バナナの食べ方ひとつ」で"疲れた脳"は回復する 動作を「ゆっくり」にすると、人間関係も変わる

✎ 1 ✎ 2
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

仲間たちと励まし合いながら日々暮らし、作務に打ち込んだり、市中に出て托鉢をしたりと、社会との関わりが少なからず生まれる。

そうした暮らしの中で禅の実践を続けることによって、次第にヴィパッサナー瞑想の状態に切り替わることを助けているのではないかと、私は考察しています。

そしてヴィパッサナー瞑想を続けた先に待っているのは、「自慈心」に満ちた心のありかたです。

雑念は「消さないといけない」訳ではない

雑念というと「消さないといけないもの」というイメージがありますが、本来の瞑想は、雑念をそのまま受け入れ、「雑念が浮かんでいるな」と感じるだけでよしとします。

呼吸も、普段通りの呼吸を「観察」するだけにし、コントロールしません。

まさしく 「評価や価値判断をせずに、ただ観る」 のです。

言い換えれば、あらゆる執着、こだわりから解放されて、ありのままの自分を、ただ受け入れること。

これが「ありのままの自分を受け入れる」「ありのままの自分を肯定し、慈しむ」心のありようを養います。

自慈心こそ、あらゆる人間関係の基礎となるものだということだけ、覚えてくださったら嬉しく思います。

自分を抱きしめる羊のイラスト
自分を肯定する力=自慈心があれば心が静かになる(イラスト:『「心の勢い」の作り方』より)
次ページ普段しない所作が、心の余裕を生む
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事