「バナナの食べ方ひとつ」で"疲れた脳"は回復する 動作を「ゆっくり」にすると、人間関係も変わる
仲間たちと励まし合いながら日々暮らし、作務に打ち込んだり、市中に出て托鉢をしたりと、社会との関わりが少なからず生まれる。
そうした暮らしの中で禅の実践を続けることによって、次第にヴィパッサナー瞑想の状態に切り替わることを助けているのではないかと、私は考察しています。
そしてヴィパッサナー瞑想を続けた先に待っているのは、「自慈心」に満ちた心のありかたです。
雑念は「消さないといけない」訳ではない
雑念というと「消さないといけないもの」というイメージがありますが、本来の瞑想は、雑念をそのまま受け入れ、「雑念が浮かんでいるな」と感じるだけでよしとします。
呼吸も、普段通りの呼吸を「観察」するだけにし、コントロールしません。
まさしく 「評価や価値判断をせずに、ただ観る」 のです。
言い換えれば、あらゆる執着、こだわりから解放されて、ありのままの自分を、ただ受け入れること。
これが「ありのままの自分を受け入れる」「ありのままの自分を肯定し、慈しむ」心のありようを養います。
自慈心こそ、あらゆる人間関係の基礎となるものだということだけ、覚えてくださったら嬉しく思います。