「エモい」「キモい」を文章で気軽に使う危うさ 手軽な表現ゆえに「断絶」させてしまうものも
そこから、どうやったら読んでもらえるか、伝わるかと考え続けて今がある。
奇抜な表現を避けようと思って綺麗な言葉を並べればいいのかというと、これまたそうではない。そうすると独自性が失われ、埋もれ、ますます読まれなくなっていく。
一体どうしたらいいのか。そんな葛藤を経てたどり着いたのが、「断絶の言葉」を使わないという方法だった。
文章によって表現しなくてはならない一番大切な情報は感情である。それも書き手の感情だ。なぜなら、それが唯一無二と言っていいほど独自性のある情報だからだ。それは読み手に提供される情報としては相当な独自性を持っているものなのだ。
「すごく好き」
「嫌い」
「嫌な感じがする」
「死ぬほど笑った」
「悲しい」
「苦しくなる」
文章に限らず、我々が誰かに伝える情報は、突き詰めていくと自分はどう感じるかに行き着く。どんな事象であっても、それを受けて自分がどう感じたか、我々はそれしか伝えていない。そのほかの部分はこれを効率よく伝えるための装飾に過ぎない。ある事象に対して著者はどう感じたか、突き詰めればそれだけしか伝えていないのだ。
「キモい」「エモい」は禁止
そこで注意しなくてはならないのが、自分の感情を見過ごさないことである。
これに関して、僕はある決まりを自分に課し、それを守っている。
僕は「キモい」「エモい」という2つの言葉を使わない。それをあえて使う意図がある場合を除いて文章でも日常生活でもほとんど使わない。この2つは「断絶の言葉」だからだ。
この「断絶の言葉」とは、そもそもそういう言葉はないし、あったとしても別の意味合いがあると思うけど、僕はそう定義して呼んでいる。他にもいくつかあるけれども、「キモい」「エモい」この2つの言葉は断絶の度合いが傑出している。だから使わない。
これらは形容詞であるので「美味しい」「痛い」といった言葉と同じなわけで、それらの形容詞を使って文章や言葉を構成していくことは当たり前だ。けれども、「キモい」「エモい」だけは使わない。
なぜなら、最近の文脈においては、この2つの言葉だけは「どうしてそうなのか」が語られることが少ないからだ。一般的に多くの場面で使われすぎてかなり強い力を持っており、それだけで済んでしまう手軽さと危うさがある。これはそういう使われ方をしている言葉だ。
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