「エモい」「キモい」を文章で気軽に使う危うさ 手軽な表現ゆえに「断絶」させてしまうものも

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

これは大谷選手が人格者であり、相手チームに敬意を払っていることがうかがい知れるエピソードだが、それだけではない。

おそらく彼は「取りこぼす」なんて言葉を使わないと決めているのだろう。それを使うとそれが思考となり、行動になる。勝って当たり前という舐めた態度に出るかもしれない。それを理解しているのだ。自分の中で明確な線引きができているのだろう。

断絶の言葉を使わないことは少なくとも自分の中で自分の感情に丁寧に向き合う行為である。そのような生き方をしていくべきだし、可能ならば誰かの感情にも丁寧に思いを馳せるべきなのだ。

単語にまとわりついたイメージを自覚しているか

SPOTという旅行サイトに寄稿した「青春18きっぷで日本縦断。丸5日間、14,150円で最南端の鹿児島から稚内まで行ってみた」という文章がある。JR最南端の駅から最北端の駅まで、普通列車だけで日本縦断するという記事だ。この中に不可解な一文がある。

「ここから川内へと行く列車は1時間ほどの乗り換え時間があって8時29分発。まあ、これが正解だ、これで行こうと決意して掲示板を眺めていると、むちゃくちゃ鉄道に詳しそうな剛の者っぽい人に話しかけられた。」

ここで「剛(ごう)の者」という言葉がでてくる。

これは鉄道に詳しい人を表している。「鉄オタ」「鉄道オタク」「乗り鉄」みたいな人を指す意味合いに思ってもらえればいい。

ただ、この言葉自体にそのような意味があるわけではないので独自の表現であり、内輪感が出てしまう表現でもあるので本来は好ましくない。それでも僕は頑なに「剛の者」を使い続ける。

その理由はやはり自分の感情だ。この文章を書いているとき、やはり青春18きっぷシーズンで、すぐにそういった剛の者に遭遇した。その様子を書いているときに「いかにも鉄オタといった感じの人が」と書いたと思う。そこでピタリと手が止まった。

嫌な感じがしたのだ。

「鉄オタといった感じの」この部分にものすごく嫌な感じがした。そこで自分の感情を紐解いてみた。なんで嫌な感じがするんだろうと丁寧に向き合ってみたわけだ。

次ページ鉄オタに対して抱いていたイメージは
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事