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20年以上もプロ野球の現場から離れていた
2021年11月まで北海道日本ハムファイターズの監督を10年間、務めていたこともあり、僕については「監督」というイメージを持っている人が少なくないようです。
しかし、2011年、僕のファイターズ監督就任は大変な驚きをもって迎えられていました。なぜなら僕は、1990年に現役を引退してからは、テレビのキャスターなどを務め、20年以上もプロ野球の現場を離れていたからです。
しかも、僕にはコーチの経験もありませんでした。コーチ経験もなく、20年以上も野球の現場を離れていた人間の監督就任は、日本のプロ野球の歴史でも初めてのことだったのではないかと思います。
1984年から7年間、ヤクルトスワローズに在籍した選手時代も、華やかな実績があるわけではありません。もとより僕は、甲子園にも出ていないし、大学野球で活躍したわけでもない。プロテストを受けてのドラフト外での入団でした。
なんとか入団は叶ったものの、プロの世界はレベルが想像をはるかに超えていて、当時の大きな挫折感は、今もなお忘れられないほどのものでした。さらに入団2年目からは、原因不明のメニエール病とも闘わなければなりませんでした。
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