あの人事抗争がパナソニックを没落させた 松下幸之助の"遺言"をめぐる壮絶な抗争

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日本ではさほど知られていないが、MCA会長のワッサーマンは「ハリウッドのゴッドファーザー」と呼ばれ、映画俳優組合の委員長から米大統領となったロナルド・レーガンや、フォード大統領のもとで国務長官を務めたヘンリー・キッシンジャーとも親しかったうえ、米国の上流社会からマフィアの世界まで幅広い人脈を有する大物である。

実際に、ワッサーマンと会った「客員会」の重鎮のひとりは、「まさに人を寄せ付けない威厳に満ちた人物で、にこやかに話していても、少なからず威圧感を覚えた」と語っている。

そのワッサーマンを露骨に侮辱したうえ、苦労して手に入れたMCAを「卸し売り価格」でカナダの洋酒メーカーに転売してしまったのが、谷井のあとを継いで5代目社長に就任した森下洋一である。

この転売は、まさに人事抗争のピークにおいてなされたものだった。谷井とその側近たちが人事抗争で一掃されると、森下は、自身を社長に指名してくれた谷井への恩義を忘れ、創業家を代表する正治の意向を忖度(そんたく)した経営を行なった。何より正治は、谷井が敷いた経営路線の全否定を望んでいて、その意向に添うことが自身の保身にもつながったからだった。

MCAの売却劇に関しては、元役員だけでなく社員たちの間にも、無念の思いを抱く人は少なくない。そんな社員のひとりが、あらたなビジネスモデルを作ろうと奮闘していた同期の追悼録を私にくれた。

この追悼録は、松下側の通訳のひとりとして、MCAとのさまざまな交渉に尽力した女性社員の死を悼んで編まれたものだった。彼女は、ガンに冒されながらも交渉に尽力し、MCAの買収が成功したのちも、病床でMCAに関係する英文資料の翻訳を続けていたが、31歳という若さで逝去した。その三回忌に、職場の仲間が追悼原稿を集め、カンパを募り、出版したのである。

役員OBからの手紙

数えてみれば、約3年間にわたり、私は松下電器やパナソニックの役員OBたちを訪ね歩いていたことになる。いつの頃からか、彼らは人事抗争にまつわる数多くのエピソードや個人的な体験談など、これまで誰にも語ったことのない話を、おどろくほど積極的に披露してくれるようになっていた。

中には「一度、また、お会いしたく思っています」と、わざわざ手紙をくれた人がいて、連絡を取ろうと思った矢先、追いかけるように2通目の手紙が届けられたことがあった。慌てて大阪の自宅を訪ね、いつものように取材をし、そろそろ辞そうとしたところ、この人物は「最後に何でも聞いておきなさい」と珍しく質問を促した。

驚いて見返すと、「いやいや、今日、聞きたいことを聞いておきなさいという意味」と笑っていたが、ほどなくして入院したことを知り、この日が最後の取材となった。

この人もまた、実に愛嬌のある人だった。いまにして思えば、彼らは、自分たちが関与していない領域で、何が起こっていたのかを知りたかったのではないか。自身が知り得なかった人事抗争の舞台裏を少しでも把握することで、その全体像をつかもうとしたのかもしれない。

いずれもが、衰えぬ探究心と人を引き付ける磁力にあふれる人たちだった。(文中敬称略)

(講談社「本」7月号より)

岩瀬 達哉 ジャーナリスト
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