あの人事抗争がパナソニックを没落させた 松下幸之助の"遺言"をめぐる壮絶な抗争

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やがて幸之助が逝去したのち、谷井昭雄が、その“遺言”を律儀に実行しようとしたとき、会長の正治との間に壮絶な人事抗争が繰り広げられることとなった。

幸之助亡きあと、創業家を代表し、経営を近代化しようと意気込む正治にとってみれば、谷井の引退勧告はいかにも出過ぎた申し出であり、とても許せるたぐいのものではなかったのだろう。

引退勧告を、一種の「謀反」と受け取った正治は、谷井への悪感情を募らせ、以後、その経営方針にことごとく反対していった。

正治の反撃の手口は老練で、自身が決して表に出ることはなく、マスコミを巧みに操りながら、段階を追ってじわじわ追い詰めるというものだった。そのためか、谷井の側近たちは、正治の側が仕掛けた“排斥の罠”に気づくことなく、「当時、たまたま不運な事件が重なったことで、谷井さんは任期半ばにして社長を辞任した」と素直に考えていたのである。

しかし「不運な事件が重なった」と受け流すには、あまりに不自然なタイミングで事件が起こっていた。そこで、この「不運な事件」を子細に検証してみたところ、そこから見えてきたのは、谷井の手足をもいだうえで、とどめの一撃を加えるというシナリオであり、巧みな演出であった。

ひとたび敵対した相手には、ここまでむき出しの敵がい心と復讐心を燃やすことができるのかと、当時、取材をしていて、正直、息をのんだことを覚えている。

ここで準備された「不運な事件」とは、バブル経済の崩壊後、立て続けに起こったナショナルリース事件と欠陥冷蔵庫事件であった。

差し出された側近のクビ

ナショナルリース事件では、大阪・ミナミの料亭「惠川」の経営者で、女相場師ともてはやされていた尾上縫に、約800億円を融資していた松下電器の子会社ナショナルリースが、一時的という約束で、担保を返却。その直後、尾上が大阪地検に逮捕されると、この“担保抜き”が背任罪に問われ、ナショナルリースの社員が逮捕され、社会的批判を浴びることになった。このとき、谷井は、担当役員など約40人を処分し、事態の収束を図ろうとしたが、批判の報道は一向に鳴りやむことはなかった。

当時、日経産業新聞に紹介された社員の声は、まさにその象徴だった。
「私らは10円、100円のカネを削るために頭を悩ませて仕事をしている。それを料亭のおかみに何百億円もだまし取られるなんて幹部は何やってんのやと言いたい」(1992年3月25日付)

この記事が書かれた背景事情を、谷井の側近のひとりは語っている。

「会社としては、不祥事はできるだけ穏便に処理し、隠そうとするのが普通ですやん。ところが、このときは情報がどんどん外へ出て行く。正治さんの側からのマスコミへのリークが止まらず、谷井さんを精神的に追い詰めようと騒動が演出されていた」

谷井は、ふたりの側近のクビを差し出すことで事態を鎮静化させようとした。このとき、責任を問われたのは、ナショナルリースを監督する立場にあった営業部門担当の副社長と、経理部門担当の副社長である。

それでも騒動は治まらず、取締役会では会長の正治から責め立てられている。この時期、谷井は一種のノイローゼ状態にあったという。

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