小学生時代から、一貫して成績は良かった。
理系に進み、首都圏の大学院を卒業するまで化学・生物系の分野を専攻した。
「大学院ではネズミの脳の研究をしてました。脳波をとったり、電極を刺したり。『攻殻機動隊』(講談社)が好きだったので、楽しかったですね。まじめに修士論文も書いて、ちゃんと卒業しました。
この頃もまだ『終末』の話は好きでしたね。『すぐ死にたい』までは時々行くくらいで、何とか生き残りましたが。『ぼんやり死にたい』『ぼんやり世界が終わってほしい』というのは常にありましたけど、むしろ『日常から超越したい』という気持ちのほうが強くなりました。世界が終わるより、科学技術の進歩で精神変容が起こるとか、そういう改革が起きてほしかったです。
今からすればとんでもない価値観をしていたと思いますが、技術や勉強の良いところって『成果を出せればOK』なんですよね。僕のように価値観が不穏でも、成績が良かったり、まじめに研究していればうるさく言われない環境が学生の頃はあったので過ごしやすかったです。
苦痛だった就職活動
そんな環境で何とか生きていたので、新卒就活は辛かった。日本の就活で問われるのは、技術というよりは志望動機や社会に適合する内容の自己PR。何だか価値観の踏み絵を迫られているようで、ひどく苦痛でした。価値観は関係なく技術や成績一発で採ってくれたら楽だったのですが、そうはいかない。仕事をしている今ではそれらが大事なことがよく分かるのですが……」
雨宮さんが就職活動をはじめた時期は、リーマンショックの影響で氷河期だった。
雨宮さんは、卒業後も東京にいたかったので、東京で就職することにした。
「理系の罠がありました。今は違うかもしれませんが、就職が良いのは主に機械・電気・情報で、生物は不利でした。また、東京で刺激のある生活を送りたかったので、首都圏勤務になれそうな会社を探しました」
雨宮さん自身、大学院で研究をしながら、生物よりもプログラミングのほうが向いていると思うこともあった。
「生物って理屈通りいかないんですよ。ネズミN匹で実験したら結果がバラバラになったとか、普通に起きます。それから生き物なので成果が出るのが遅い。元々趣味でやっていて研究でも使っていたプログラミングは、書いたら書いた通り動く上、すぐに結果が分かるので、そっちのほうが自分の性格に合っているような気がしました。『攻殻機動隊』も好きだったし、脳神経科学の次はITに行ってみるかと考えました」
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