中野:でも、モラルってそういうもんですよ。モラルは「である」を超えようとして「すべきである」を目指すわけだから、モラルを持つということ自体が、ある意味、人間が人間を超えようとしてるわけで、それが本質ですよね。
インテリやエリートに不人気なナショナリズム
施:少し前から、「トランスヒューマニティ」という話題が一部で盛り上がっていますよね。ときどき、富裕層が自分の意識を何かデジタルな形で保存しようとしているなどという話も聞きます。意識をチップに移して、身体がダメになっても意識は残るみたいなことを考えているわけです。または、身体が老いたら機械の部品で置き換えようとか。まるで「銀河鉄道999」に出てくる機械伯爵のような話ですね。技術的には、そういうことも不可能ではなくなってきているようです。
こういう動きをみても、身体や自然をコントロール下に置こうとする考えが強まっているのは確かだと思うんですよね。頭でっかちな認知的エリートが、身体や自然を価値が低いものと見て、合理的にコントロールしたいって考えているのかもしれません。これが啓蒙主義の行き着く先であるっていうのは当然だと思います。啓蒙主義的なインテリや認知的エリートは、そういう意識的にコントロールし難いものは、文化や伝統なども含め、あまり好まないのです。
でも、いわゆる保守思想というのは、「認知だけでは足りない」「頭でっかちではいけない」という点を強調する必要があります。
保守は、意識や認知が身体的なものや自然に根差していると、当たり前ですが考えます。人間の半ば無意識の心の領域や文化も重視します。個々人の認知や意識の基礎には半ば無意識のものや身体的なものがあります。同様に社会の基礎には、文化や伝統など多数の人々が何世代にもわたって半ば無意識に作り上げてきたものが存在しています。
だから、ナショナリズムに関するものも、インテリや認知エリートには不人気なんでしょうね。なぜかと言ったら、ナショナリズムは、その半ば無意識の領域から生まれ出てくる人間の絆とか、社会のある種のまとまりとか、「社会のここからここまでは一つのネーションなんだよ」っていうような境界設定を含んでいますからね。
佐藤:「ネーション」の語源は、いみじくも「出産」ですからね。しかし戦後日本の保守は、本当にナショナルなものを守ろうとしているか。一部の例外的な人々を別にすれば、アメリカとの一体化を目指す方向に行ってしまったのが実態でしょう。そのせいもあって、サムウェア族、つまり大衆に語りかけることもやめてしまった印象を受けます。