生徒たちは明らかに音楽の業績では大きな能力の違いを示しているのに、入念なインタビューを通しても特定の才能の証明を見いだすことはできなかった。彼らの能力のレベルの違いそれ自身が才能の証しなのだろうか。それ以外にいったい何があるのだろう。しかしこの研究は偶然にもその質問への一つの回答を得ることができた。生徒が音楽的にどれだけ熟達できるか予想できる唯一の要因を見つけた。それはどれほど多く練習するかだ。
業績の違いを分けるもの
研究者たちは全国で行われたこうした等級別試験の結果をとりわけよく研究した。もちろん他のあまり熟達していない生徒に比べ、音楽学校の入学を認められた生徒がそれぞれの等級試験にいち早くかつ簡単に合格したと思うだろう。こうした音楽学校を卒業する生徒は、通常全国のコンクールで優勝し、音楽の道を進むことになるからだ。それが音楽的に才能をもっているということなのだ。
しかし結果は逆だった。研究者たちはトップ集団の生徒たちが、それぞれの等級レベルの試験の合格に平均何時間かかったか計算した。その他のグループでも、それぞれの等級試験の合格にかかる時間を同様に計算した。その結果、両者の間に統計的に意味のある違いを見つけることはできなかった。
5等級の試験合格に必要とされる練習量は1200時間で、エリートの生徒であっても単に趣味として音楽を演奏する学生にとっても、必要とされる時間は同じであった。音楽学校の生徒は、他の生徒に比べて早い段階でこうした等級試験に合格していた。それは1日の練習量が多いからだ。
エリート集団の場合、12歳ですでに日に2時間練習しているのに、一般の生徒は15分しか練習していなかった。実に8倍の違いだ。生徒が日に少しの時間しか練習しないかたくさん練習するかにかかわらず、一定の累積時間を練習につぎ込まないかぎり、それぞれの等級レベルに合格することができないのだ。この研究チームの一員であるキール大学のジョン・A・スロボダ教授は次のように語っている。
「このことは明らかに、達人になるための近道はけっしてないということの証拠なのである」
荒っぽい言い方をすれば、5つのグループの生徒のうち1つのグループはトップレベルの音楽学校に入学し、別の1グループは楽器を演奏することすらあきらめていた。前者は後者に比べ、明らかに大きな音楽的才能に恵まれていたと一般的には思われるだろう。しかし、才能という言葉を少なくとも「容易に達人になれる能力」とするならば、トップグループの者は「才能」をもっていないことをこの調査が証明している。
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