もともとケータイ小説は少女漫画のメンタリティに近かったので、初期は俺様キャラとかの偉そうな男キャラが流行っていて、題材としても『売春』や『妊娠』『不治の病』など、ダークな要素を含む作品も書かれていました。
しかし、時代が下るにつれて、相手の男の子が『クールで無気力だけど、一途な男キャラ』に変化していったんです。このような変化を経て、もともと距離があったはずの『ケータイ小説』と『(ラノベ作家が文芸作品を書くという意味での)ライト文芸』が接近していきました。
結果、それぞれまったく異なる読者層を想定していた作品であるはずなのに、類似点が多い作品群が生まれた。それらをまとめて分類する用語として『ブルーライト文芸』という言葉を使いました。
『ライト文芸』というと、今ではどうしても女性向けの作品、という印象が強く、入間人間、河野裕、三秋縋らの2010年代前半にライトノベルと一般文芸の境界で活躍したような作家たちの創り上げてきた、ライトノベル的な流れを汲んだ『ライト文芸』の文脈が見逃されてしまうので、その2つを合わせたものとしてブルーライト文芸と呼ぼう、という意図もあります」
ブルーライト文芸の歴史を紐解いていくと、ケータイ小説、ライトノベルという2000年代、2010年代に流行した文芸作品の流行が見えてくるという。
そこに『君の膵臓をたべたい』『君の名は。』という作品が登場することによって、ビジュアル面や話の内容での類似性が生まれてきたのだ。
『風立ちぬ』が及ぼした影響は大きい?
ケータイ小説、ライトノベルの文脈から生まれたブルーライト文芸だが、その話の定番パターンである「ヒロインが病気になる」ということに対しては、「病をエンタメコンテンツとして消費している」といった声もあるかもしれない。
しかし、興味深いのは、こうした文芸作品のスタイルは、日本において歴史的に繰り返されてきたということだという。ペシミ氏が説明する。
「病気で亡くなってしまうという少女の話の源流を辿っていくと、サナトリウム文学があります。結核患者を題材にした文学作品のことで、代表的なところでいえば、堀辰雄の『風立ちぬ』ですね」
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