「はかない言葉のにほひも見え侍るめり」は「ちょっとした言葉にも、香気を放つのが見える」といったところだろう。
さりげないところに才を感じる……というのは、歌人としても言われて嬉しい言葉に違いない。「歌は、いとをかしきこと」として、和泉式部の優れた和歌に賛辞を贈っている。
しかし、紫式部という人物は、どうも手放しに誉めることに抵抗があるらしい。
その後、和歌の知識や理論にいては「まことの歌よみざまにこそ侍らざめれ」(本物の歌人といふうではないですが)と苦言をいったん挟みながら、「口にまかせたることどもに、かならずをかしき一ふしの、目にとまる詠み添へ侍り。」(口をついて出る言葉の中には、必ずはっとさせる一言が添えられています。)と、やはり歌については評価している。
紫式部は褒める時ですら辛口だった
だれけども、和泉式部が他人の作品をあれこれいうことには「そこまであなたはわかっていないでしょう」と、意地悪な気持ちになるのを抑えられなかった。次のように書いている。
「それだに、人の詠みたらむ歌難じことわりゐたらむは、「いでやさまで心は得じ。口にいと歌の詠まるるなめり」とぞ見えたるすぢには侍るかし。「恥づかしげの歌よみや」とはおぼえ侍らず。」
(といっても、彼女が人の歌を批判したり批評したりするものついては、<いや、そこまで頭でわかってはいますまい。思わず知らず口から歌があふれ出るのでしょう>とお見受けしますね。ですから<頭の下がるような歌人だわ」とは私は存じません。)
文才は認めるけれど、理論には乏しく、優れた直感で和歌を詠んでいる……それが紫式部の「和泉式部評」といえそうだ。
和泉式部は彰子に仕える前年に『和泉式部日記』を執筆している。紫式部が読んだかどうかは定かではないが、少なからず対抗心を抱いていたのかもしれない。
そんな褒めるときでさえ、辛口が交じる紫式部が、「頭が下がる歌人」と評した人物がいた。歌人の赤染衛門である。
(次回につづく)
【参考文献】
山本利達校注『新潮日本古典集成〈新装版〉 紫式部日記 紫式部集』(新潮社)
倉本一宏編『現代語訳 小右記』(吉川弘文館)
笠原英彦『歴代天皇総覧 増補版 皇位はどう継承されたか』 (中公新書)
今井源衝『紫式部』(吉川弘文館)
倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社現代新書)
倉本一宏『敗者たちの平安王朝 皇位継承の闇』 (角川ソフィア文庫)
関幸彦『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』 (朝日新書)
鈴木敏弘「摂関政治成立期の国家政策 : 花山天皇期の政権構造」(法政史学 50号)
真山知幸『偉人名言迷言事典』(笠間書院)
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