紫式部が主人公の光源氏に託した"恋愛のかたち" 「通い婚」が普通だった平安時代の色恋を解説

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じっさいのところ、貴族社会の女性は、白昼、男性に顔を見せることは出来ませんでした。

これまた、男たちは気になる女性の噂を聞いたり、かいま見たりすることで、情報をあつめていました。そのうえで、手紙を送って反応をみるのですが、女性のほうでは、それを読んで、どんな男なのかを判断します。

そして、「まぁ、いいかしら」と思い、それなりに自分の気持ちを匂わせた和歌などを返せば、男が夜に訪問する、という段取りになります。

「いやいや、待てよ。いきなり自宅に訪問とは?」

と疑問にも思われましょう。が、「昼間にデート」という習慣はないのですから、とにもかくにも女性の寝室で、しばらく会話をしたのちに、閨事(ねやごと)ということになります。

気に入ったら手紙で意思表明

夜明けとともに(ときには、夜のあいだに)、男は自分の家に帰っていきます。そのあとで、男はまた手紙を出します。それが早ければ早いほど、「あなたのことが気に入った」というサインになるわけです。女もそれに対して手紙を返し、そこに、しゃれた和歌などが付けられていれば、より好印象となります。

おたがいに相性がよければ、3日連続で通い、めでたく結婚ということで、「所顕(ところあらわし)」──今でいえば、結婚披露宴をおこないます。でも、ふたりがいっしょに住むことはまれで、たいていは男が女性の家に通います。

所顕をすることで、その男性は通うことを正式にみとめられるのです。

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スムーズに行けば、スピード婚かもしれませんが、何カ月、いや、数年かかることもあります。紫式部と宣孝の場合も、紫式部が越前に行ってしまったという事情もありますが、結婚まで1年以上かかっています。

また、見方によっては、通い婚が普通であった時代は、ほかのところに、「新たな妻をつくりやすくなる」ということになります。

逆のケースも考えられるわけで、ふだん夫は家にいないのですから、和泉式部のように、別に情人をこしらえたりする。やはり、簡単には片付けられない制度ですね。

紫式部の場合は、夫の宣孝がほかの妻のところに通い、「ごぶさた状態」になったことがありました。嫉妬と寂しさに悩んだ紫式部ですが、夫の死後にはほかの妻や、その子どもたちとも手紙を交わし、亡き宣孝を偲んだりしています。

岳 真也 作家

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がく しんや / Gaku Shinya

1947年東京生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院社会学研究科修士課程修了。2012年歴史時代作家クラブ賞実績功労賞、2021年『翔 wing spread』(牧野出版)で第1回加賀乙彦推奨特別文学賞を受賞。代表作に『水の旅立ち』(文藝春秋)、『福沢諭吉』(作品社)、ベストセラーとなった『吉良の言い分』(小学館)。最近作に『行基』(角川書店)、『織田有楽斎』(大法林閣)、『家康と信康』(河出書房新社)など。現在、著作は170冊を超える。日本文藝家協会理事

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