紫式部「アラサーで夫と死別」幼い娘との壮絶経験 気持ちがすれ違う中で起きた悲しい出来事

平安時代中期の作家・紫式部を「悲劇の女性」だと表現すると、意外に思う人もいるかもしれません。
『源氏物語』を執筆して穏やかに暮らしていたという印象を持つ人もいるでしょうし、何より紫式部の人生自体がそれほど知られているわけではないので「悲劇も何もわからない」という人もいるでしょう。なぜ紫式部は、悲劇の女性だと言われているのでしょうか。
50歳目前の宣孝と結婚した紫式部
紫式部は20代の後半のころに、50歳を目前にした貴族の藤原宣孝と結婚します。新婚早々、これまで紫式部が宣孝に宛てた手紙を宣孝が他人に見せたことで、2人は大喧嘩をしたものの、宣孝が折れたことで喧嘩は収束しました。
その後長保元(999年)年には、宣孝との間に、賢子という女の子が生まれたとされます。
幸せな生活が続いていくのかと思いきや、紫式部が詠んだ歌を見てみると、どうやらそうでもないようです。
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