なぜ紫式部は光君を「闇抱える男」として描いたか 源氏物語が普遍的に問う「生きることの苦しみ」

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山本:2017年11月に、私はハーバード大学で『源氏物語』のワークショップをしました。主に日本やアジアの研究をしている大学教授や大学院生が聴講なさいましたが、そのなかでゴードン先生という方から質問されました。

「最近、大学の講義で『源氏物語』は人気がありません。幼児性愛や性暴力への拒否感がアメリカではひどく強いので、光源氏は嫌われていますし、『源氏物語』は扱いにくくなっています。どうしたらいいですか?」

角田:たしかにそうですよね……。でもね、とは思います。私は「若紫」を換骨奪胎して書いたとき(注)、やっぱり反発心があったんです。子どもをさらって自分好みに育てるという男性性への拒否感から、男性優位に見せかけておいて、実は女性のほうが優位に立っているという物語を書きました。

注)『源氏物語』の全訳に取り組む5年前、9名の作家がそれぞれ1帖を担当して現代語訳するアンソロジー企画で角田氏は「若紫」を担当した(新潮文庫『源氏物語九つの変奏』)。

だけど『源氏物語』を訳しながら読んでいくと、そう単純なことではないんじゃないかと思うようになりました。

自由に生きられない女性、男性に拠って立つしか生きられない女性たちを描くことによって、女性たちの苦悩を訴えかけるように思えたんです。拒否感があるのはわかるけれども、男性優位を肯定している物語ではないという気がどうしてもしてしまいます。

現代の私たちの苦しみにもつながる

山本:私もそう思います。実際のところ、『源氏物語』が書かれた平安時代においても律令制という法律はあって、子どもをさらって自分の家族や奴隷みたいにすることは有罪でした。つまり光源氏は違法なことをしている。違法とわかって若紫をさらっているわけです。

ですから当時の読者も、光源氏の非道さをわかっています。光源氏が若紫を虐待から救済したのだと信じきっているわけではなく、甘いところも苦いところもわかって読んでいたのです。当然ながら、紫式部はわかったうえで書いているでしょう。

「おいしい話」とでもいいましょうか、今の私たちの価値観に合うような、嫌な男も性暴力も出てこない、甘いお菓子みたいにこしらえられた物語ばかりでいいはずがない。私はそう思います。

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