なぜ紫式部は光君を「闇抱える男」として描いたか 源氏物語が普遍的に問う「生きることの苦しみ」

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山本:では、どこまで起筆をさかのぼることができるか。

紫式部の夫が亡くなったのが1001年4月25日です。紫式部が書いている和歌からみて、彼女は夫が亡くなって絶望し、人生というものを深く考えるようになりました。ですから1001年から1005年にかけての4年間で、彼女は現実から逃避して物語という虚構のなかに逃げ込みつつ、そこで自分の人生を検証するような執筆活動を始めて、その物語が口コミで広がったんだろうというふうに私は考えています。

角田:おもしろいですよね。山本先生のご著書に、『源氏物語』は「世」と「身」がキーワードであるとありました。「世」=「社会」、「身」=「身体」、どちらにも限りがあるということなんですけれども、紫式部は夫の死に立ち会って、その苦しみから「心」というものを発見した。

「心」は「世」にも「身」にも縛られないものであるという発見があったから、紫式部は創作に入ったのではないか。そう山本先生は書かれていましたよね。すごくスリリングで興味深かったです。

逃げるように想像した「もうひとつの世界」

山本:『紫式部集』という和歌集があります。「めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に雲がくれにし夜半の月かな」。紫式部が娘時代に親友と交わした和歌です。当時の紫式部はチャキチャキの女の子でしたが、まもなく親友が亡くなってしまう。その後、紫式部は結婚したけれども、夫もたった3年で亡くなってしまう。そこから紫式部の人格が変わっていくのを和歌に読みとることができます。

夫の死後、「世」=「社会」「時代」「世間」を見つめて、そのなかで生きる私という「身」=「身体」「身分」「身の上」というものに絶望する。ところが、その絶望の底から「心」が急にあらわれます。

一方では、「心」はどんな「身」にも順応するものなのだ、どんなに虐げられた身の上であってもいつのまにか慣れて笑ったりするものなのね、と紫式部は詠んでいます。

もう一方では、そうはいっても「心」がどんな「身」にも適応できるというわけでもないだろう、とも詠んでいます。やがて、「心」は煩悩や欲望を抱き始めて、「こんな身の上では嫌だ」と言い出したり自分を苛んだりするものだ、と考えを深めていきます。

そこまで深い人間洞察をし始めたときに紫式部は、子どもを抱えながら自分はこれからどうやって生きていこうかと思い悩み、逃げるようにしてもうひとつの世界を想像して、そこに自分の「心」を全部投入していたのだと考えます。

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