また、先ほど私が書いた2つ目の矛盾、つまり「サードプレイス」であるのに、なかば閉じられている、ということが逆に、スタバ利用者の間の強固な連帯感を作り出している、という議論もある。先ほども引用した京極一はこのように書いている。
そしてこのような「強烈な連帯感、同一性」が生まれる背景として、スタバが他のコーヒー店と異なっている特別な店であることを押し出していることを挙げている。
スタバでしか味わうことのできないコミュニティー意識
店内に置かれたパンフレットを読んでみてほしい。そこでは他と比べてスターバックスが優れている理由が力説されている。排除のメカニズムを強化するためである。
このように、スタバが作り出した矛盾を孕んだ「サードプレイス」は逆に、スタバに訪れる人々の間に独特のコミュニティーを作り出す。
アメリカには「スターバッカー」というスラングがあるという。これはスタバを愛し、全世界のスタバを訪れる人のことを指すらしい。スタバマニアは全世界的に存在していて、日本でもスタバ上陸後間もなく、小石原はるかによって『スターバックスマニアックス』という書籍が出版されているぐらいだ。たしかにこうしたマニアたちの存在は、スターバックスというものを介したコミュニティーが立ち上がっていることを思わせる。
あるブランドは、そのブランドに対する熱烈なファンを持てば、非常な強みになる。スターバックスは、「矛盾」を持った経営でスターバックスを中心とするコミュニティーを(結果的にかもしれないが)生み出したのである。
この連載ではスターバックスに見られる「矛盾」を追っている。特にスタバのコンセプトの中核を成す「サードプレイス」という概念にも、「矛盾」が表れている。しかし、その「矛盾」は人々をスタバに呼び寄せ、同時にそこにスタバでしか味わうことのできないコミュニティー意識を植え付けることに成功している。
本連載の第3回では、スターバックスを世界的企業に育てたシュルツが、実は最初、フラペチーノに反対派だったことを紹介した。彼は当時の自身を「純粋主義」と形容しつつ、「フラペチーノの会社にはなりたくない。うちはコーヒーの会社だ」と言い放ったというのだ。しかし、最終的には「顧客は常に正しい」と考え直し、スターバックスはフラペチーノのパワーを背景に、世界的企業へと駆け上がった。
もしシュルツが最後まで「フラペチーノは、コーヒーの会社に必要ない」と言えば、今のような世界的企業にはなっていなかっただろう。また、「と言っても、うちは本質的な意味での『サードプレイス』とは違うよな……」と悩んでいても、今のような世界的企業にはなっていなかっただろう。
ターゲットはあくまで広く、しかし実際に訪れた人には「特別感」を与えてくれる……。
これら、「フラペチーノ」と「サードプレイス」の事例を通じて、本連載が綴ってきた「矛盾」が持つ大きな意味が徐々に明らかになってきたのではないだろうか。
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