スタバの「フラペチーノ」に潜んでいる驚きの真実 「うちはコーヒーの会社」育ての親も反対だった

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スタバがどのようにグローバルチェーンへと歩みを進めてきたのか。その立役者となった「フラペチーノ」をめぐる裏話とは?(写真:yu_photo/PIXTA)
日本で3番目に多い飲食チェーンなのに、令和の今もわれわれ消費者に特別な高揚感を与えてくれるスタバ。
ブランディングやマーケティングから見ても、一貫した理念や戦略があるように思えるが、実は「コーヒーを大切にしてきた歴史がある一方で、人気商品は、コーヒーとは正反対にも思えるフラペチーノである」など、矛盾とも思える部分も少なくない。
しかし、この「矛盾」こそが、スタバを「特別な場所」にしてきたのかもしれないーー。
ドンキにはなぜペンギンがいるのか』『ブックオフから考える 「なんとなく」から生まれた文化のインフラなどの著作を持つ気鋭のチェーンストア研究家・谷頭和希氏による短期連載の第3回(第2回はこちら)。

前回は、スタバの創業時のエピソードを確認しながら、初期のスタバがローカルな個人店としてスタートしたことを見てきた。この時点でスタバはシアトルにある地元志向の個人店であり、現在われわれが知っているグローバルチェーンとしての姿はまったく持っていなかった。

スタバの国内店舗数グラフ
スタバの国内店舗数グラフ。世界はもちろん、日本でも拡大を続けている、最強コーヒーチェーンだ(編集部作成)

今回はそんなスタバがどのようにグローバルチェーンへと歩みを進めていくのか、その歩みを見ていこう。その歩みの中に、この連載が語ろうとしているスタバの「矛盾」が現れてくる。

ハワード・シュルツの入社とイタリアでの衝撃

スタバがシアトルを中心として徐々に店舗数を増やしていた1982年、セールスマンだった一人の男が、スタバの噂を聞きつけた。その男が、ハワード・シュルツである。

ちょうどセールスマンの仕事に物足りなさを感じていたシュルツはスタバを訪れ、隅々までこだわりに満ちたこの店に感銘を受ける。すぐさま、スタバの創業者であるジェリー・ボールドウィンらと面会をしたシュルツは、ニューヨークからシアトルへ、アメリカ大陸を横断して、スタバに入社することになった。シュルツがいかにスタバに魅せられたのかがよくわかるエピソードだろう。

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