「サードプレイス」とは、アメリカの社会学者のレイ・オルデンバーグが提唱した概念で、日本語に訳せば「第三の場所」となる。ここで言われる「第三の場所」とは「家庭でも職場でもないコミュニティー」のことだ。
オルデンバーグがその例として挙げる場所は、近所の居酒屋や公園、喫茶店など、家族関係からも仕事関係からも関係のない場所で作られるコミュニティーである。こうしたコミュニティーに属することによって、人々は現代社会において孤立することなく適度に人と繋がった状態でいることができるわけだ。
なるほど、たしかにスターバックスは家庭とも仕事場とも離れた雰囲気を持っている。しかし、サードプレイスの定義を確認していくと、そもそもスタバはオルデンバーグが想定したような「サードプレイス」には全く当てはまらないことが見えてくる。
つまり、スタバが掲げる「サードプレイス」とはスタバ独自のきわめて特殊な「サードプレイス」である、ということだ。「サードプレイス」でありながら「サードプレイス」でない、矛盾に満ちたスタバの「サードプレイス」観について、2つの観点から見ていこう。
「会話」がない「サードプレイス」
オルデンバーグが語る「サードプレイス」で重要視されるのが「会話」だ。「サードプレイス」内では、そこにいる人々との自然な会話が生まれ、結果的に利用者同士はその場所において顔見知りになる。確かに地元の居酒屋などに行くと、いわゆる常連を中心に店の中にいる人に自然と会話が生まれている。
スタバはどうか。店員との会話はある。スタバのスタッフに話しかけられたことがある人も多いだろう。他のコーヒーチェーンとスタバの違いを指摘するならば、そのような店員との会話を挙げることができるだろう。SNSでよく、購入したドリンクのカップに店員からのメッセージが書いてあるのがアップされているが、まさにあれも店員と客のコミュニケーションの一環であろう。
しかし、客同士の会話だとどうだろうか。スタバの中で積極的に隣に座った客同士で話すということは考えにくい。スタバの中では、それぞれの客がそれぞれの作業をしていて、そこには相互に干渉するようなきっかけはない。そこで見られる光景は、地元の居酒屋のようなにぎやかな雰囲気とは全く異なるのである。
こう考えると、スタバは、本来の意味の「サードプレイス」ではない。ここに「矛盾」が生じているわけだ。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら