スタバ「巨大企業帝国」がはらんできた数々の矛盾 矛盾に満ちた経営が、独特な共同体を作り上げた

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その後の拡大は、読者の誰もが知るところだろうが、ここで私が指摘したいのは、スタバが誕生した時代がどのような時代であったのか、ということである。

社会学でよく言われることなのだが、1990年代後半から全世界的に「大きな物語の凋落」という事態が起こったといわれている。小難しい概念のように思えるが、非常に簡単に言えば、それまで信じられていた「国」とか「宗教」といったような、人々がその精神的な拠り所にしてきたものの自明性が疑われ、共同体が共同体として機能しなくなったといわれているのだ。

こうした状況を端的に表すのが、1991年のソ連崩壊である。それまで、世界は資本主義と共産主義という分かりやすい対立軸を持った2つのイデオロギーを中心に動いていた。だから人々もそのどちらかを信じることで、「国家」という共同体に参加している感覚を得ることができた。精神的な拠り所があったわけだ。

しかし、その一方のソ連が崩壊したことによって共産主義というイデオロギーの自明性が無くなってしまう。また、その事態を加速させたのは2001年にニューヨークで発生した同時多発テロだろう。イスラム教とキリスト教という2つの宗教の争いであったこの事件において、「宗教」の正しさを無条件に信じることができる人は少なくなってしまったのではないか。

こうした事態は戦後から現代まで、ゆっくりと進んでいたが、特に1990年以降は極端に進んできた。

そんななか、全世界に出店を広げてきたのがスタバであった。

癒しの空間としてのスタバ

こうしてみると、次のようにいえるのではないか。つまり、共同体無き時代において、新しい共同体を提供したのがスタバだったのではないか。スタバが提供するある独特な共同体は、共同体無き人々に、新たな拠り所を与えたのではないか。

この点について、前々回の連載でも取り上げた京極一は『月刊食堂』の寄稿で、スタバの空間についてこう書いている。

旧来の社会的枠組みの中では希薄になるだけの同一性と結果としての和みを、確かにスターバックスのお客は獲得していた。(『月刊食堂』1998年9月号)

スタバの空間には「和み」があると京極は指摘する。ある種の精神的な拠り所としてスタバが機能していることを指摘するのだ。こうした「癒しの場所」としてのスタバが存在していたことは、次のような記事からも読み取れる。

2009年、スタバはリーマンショックにおける不況の煽りを受けて、開業後初めての赤字となった。このとき、全米の多くの店舗が閉店することになったのだが、それを受けて当時のウォール・ストリート・ジャーナルの社説には次のような記事が掲載されたという。

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