「友だちがいないのは悪」という学校教育の弊害 「ぼっち」にネガティブな先入観を持つ理由

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自分はひとりでいるのが好きで、自らの意志で、ひとりでいることを選んでいても、社会的に、ぼっちと規定されるのは、また別の話なのです。これはつまり、ぼっちに対するネガティブな先入観が社会のなかに存在するということであり、そこには、一筋縄ではいかない根深さが含まれているということでもあるのです。

ぼっちを最も強く意識させられ、生きづらさを感じさせられる場所が、学校ではないでしょうか。特にそう思わせられるのは、小学校・中学校時代かもしれません。

なぜなら、親や先生たちのぼっちへの見方が固定されていることに加え、人の流動性が低く、自分が所属している場所を移動・変更することが非常に困難な環境だからです。

学校生活のなかでは、友だちが多いことがいいとされ、友だちがいないことはまるで悪いように扱われる場合が多いかと思います。

「友だちがいないのは悪」という刷り込み

自宅でも学校でも、大人たちから「友だちと仲良くしなさい」「友だちをたくさんつくりましょう」といわれ、事あるごとに「友だちできた?」「友だちと仲良くできている?」「いま一番仲のいい友だちは誰?」といった質問を何度も受けて育ちます。

こうした「友だちありき」の一問一答をくり返すことで、多くの子どもたちの脳内にそれが刷り込まれ、「友だちがいないとダメなのだ」「友だちがいないと親や先生を不安にさせるのだ」と思い込むようになります。

高学年になり、ひとりで過ごすことが平気になっても、ひとりで本を静かに読んだり、ひとりでお弁当を食べたりしているだけで、まわりから「友だちがいないのは、みんなから嫌われているからでは」と疑われてしまうこともあります。

集団で活動し、共同作業のなかで協力し合って問題を解決することは社会生活に必要なことであり、学校生活をとおして身につけていくべきスキルだとは思います。

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