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「犬神家の相続」が近代日本の発展と終焉を示す訳 金田一耕助は「等価交換の男」ではなかった   

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私が言いたいのはこういうことである。つまり、何かが生まれるということ、それが育つということが可能になるのは、そこに等価交換ではない別の原理が働いているからである。家族のような血縁共同体であればそれは親の子に対する無償の愛ということになるだろう。会社の場合だって同じだ。経営者や従業員による、会社に対する無償の贈与がなければ、会社もまた育つことはない。
多くの従業員が継続して会社で働くこと、その結果生まれる仕事に対するモチベーションを担保するものに対して名前をつけるのは難しいが、あえて言えばそれは共同体への信頼といったものであると言えるのではないだろうか。そうした信頼の上にしか、共同体の倫理というものが生まれないこともまた確かである。
経営者も、労働者も、ただ自らの仕事に情熱を注ぐことで、自分では予期していなかった倫理創造を結果として行うことになる(平川克美『株式会社の世界史——「病理」と「戦争」の500年』東洋経済新報社、2020年)。

無力と微力の相違

テクノロジーが発展し、人でなければできない仕事は減ってきていると言われます。

しかし会社は何のためにあるのか、そして共同体は何のためにあるのかといったら、全ては人間が生きていくためです。何のために歯を食いしばって利益を上げるのか、何のために痛い思いをして通過儀式をこなすのかといったら、全ては人間が生きていくためなのです。

『犬神家の一族』を観れば分かるように、あれだけ精一杯調べ、悩み、足を運んでも金田一は事件を防ぐことができませんでした。同じように、僕たち一人ひとりは本当に無力で気候変動や人権侵害など、諸問題を完全に解決するには及ばないでしょう。

しかしそれでも善処を尽くして一生懸命関わることが大切なのです。

誤解しないでほしいのは、結果などどうでもいいと言っているわけではありません。金田一だってできれば殺人事件は起きてほしくなかったし、できることなら止めたかったはずです。

でもその姿をどこかで誰かが必ず見てくれている。この繰り返ししか、人が生まれたり育ったりすることをことほぐことのできる社会を構築することはできません。

『犬神家の一族』から学べることは、とってもハートフルな結論なのでした。

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