「犬神家の相続」が近代日本の発展と終焉を示す訳 金田一耕助は「等価交換の男」ではなかった   

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

では近代日本がつくりだした家父長制的家族秩序こと「犬神家システム」は完全に焦土に帰したのかというと、そんなことはありません。

戦後の経済成長を実現するためにこのシステムの復活が要請されたのです。確かに農村から都市へと人口移動が起きたことで、農村における家父長制的共同体は徐々に衰退していきましたが、これは人口移動によって引き起こされただけであり、人びとが移動した先の都市に「小さな犬神家」が出来ていったのです。

しかしその後、このような企業ばかりでは雇用の流動性は生まれないとして公営企業を解体し労働市場をつくり出したのが新自由主義的経済体制でした。

そして現代。確かに「失われた30年」という続く景気の低迷のなかで、家父長制的家族秩序はその歴史的な使命を終えようとしているようにみえます。

このように社会的価値観が揺らいでいる現代において、誰もがこれからの社会ビジョンを模索しています。なかには再び犬神家システムを日本の「伝統的な家族像」として再インストールしようと主張するグループもいます。

しかしここまでの説明でも分かるように、犬神家システムは明らかに力の弱い側が我慢を強いられます。日本社会を犬神家のようにすることで、仮にいくらGDPが上がったとしても一人ひとりの人権が守られていない社会が「まとも」だとは思えません。どうせどこかの宗教団体や中抜き企業が儲かるだけになりそうです。

「等価交換の男」ではなかった金田一

ではどうすれば良いのか。ここで金田一です。今回の金田一の仕事は「犬神家に容易ならざる事態が起こりそう」なので調査することでした。そして残念ながら、金田一は事件を未然に防ぐことはできませんでした。

でも金田一は文献を渉猟したり現地に赴いたり関係者に話を聞いたり、事件が起こったら一目散に駆けつけたり、とにかくこの問題に親身に関わりました。彼は部外者ではあるのですが、最後のシーンでとある寡黙な人物に「金田一のことが忘れられない」とつぶやかせるまでに至ります。

なぜこの人物は金田一のことを忘れられなくなってしまったのでしょうか。それはたぶん金田一が、「等価交換の男」ではなかったからでしょう。もちろん金田一も仕事として依頼されたので犬神家に関わったわけですし、相応の報酬はもらっています。

しかし仕事をするとはそういうことではないということを、金田一はその背中で示したのです。頭を掻きむしり悩みながら、さまざまな場所に顔を出しながら、とにかく謎を追ったのでした。

文筆家の平川克美は会社や共同体が生まれるとか育つことが可能になる時について、以下のように述べています。

次ページ共同体への信頼から生まれる倫理
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事