「犬神家の相続」が近代日本の発展と終焉を示す訳 金田一耕助は「等価交換の男」ではなかった   

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問題は近代化によって身分制度は解体され、四民平等の社会を実現するために日本国民全体に通じる価値観を創出しなければならなくなったことでした。

しかしそのようなナショナル・アイデンティティの創出は日本側の一方的な都合では決められず、西洋列強に一人前の国民国家として認められなければならないという外圧もありました。

大日本帝国と犬神家の解体

また観念的な問題のみならず、殖産興業、富国強兵によって国家自体を強くしなければなりませんでした。このような過程において、武家という上流階級の家父長制的価値観が大日本帝国臣民全体に押し付けられていきました。

民俗学者の高取正男は以下のように述べています。

明治以降、20年代(1890年前後)に進行した産業革命は、地縁や職能による旧来の共同体の最終的な解体を進めた。やがて30年代、今世紀(20世紀:筆者補足)に入るころから、 重化学工業を指標とする第二次産業革命がはじまった。庶民のあいだに存在した横の連帯感が、これを境に急速に消滅しはじめたのは当然として、その度のあまりに急激であったために生じた空白部に、すべてを血縁になぞらえ、父方の出自のみ重視する武家社会に象徴的に発達した、いわゆる「タテ社会」の論理が不当に拡大され、充填されることになった。私たちの先輩が目の前にした強力な家父長制的家族秩序と、それを根幹にしたさまざまな社会組織は、多くは明治国家が近代化の過程でつくりだした巧妙な擬似共同体であった。これをもって大昔からあるように思うのは、大きな錯覚といわねばならない。(高取正男『日本的思考の原型 民俗学の視角』筑摩書房、21頁)

佐兵衛翁の正確な生年は不明ですが、おそらく明治初頭の頃だと考えられます。そういう意味では第二次産業革命の進展と家父長制的家族秩序の形成期に、佐兵衛翁は青年期を過ごしたことになります。また犬神家が製薬会社として日清・日露戦争、海外植民地の拡大を機に大きくなっていく過程は、近代における大日本帝国の歩みと符合しています。どうしても僕には、「犬神家」自体が「明治国家が近代化の過程でつくりだした巧妙な擬似共同体」そのものであり、佐兵衛翁の死とともに訪れた家族の解体に太平洋戦争で敗北した日本の姿を重ねてしまうのでした。

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