「マッチ作りの少女」の最期は涙なくして語れない 19世紀の欧州に実在した「奇妙な職業」たち
マッチの需要が高まり、製造工場で起きた悲劇
・「マッチ作りの少女」が働く製造工場
有名なアンデルセン童話の『マッチ売りの少女』は、寒空の下、素足でマッチを売り続けるもまったく売れず、あたたかな幻影を見ながら凍死してしまうという悲しい物語です。この物語以上の悲劇ともいえる現実が、マッチ製造工場にありました。
1826年にマッチが発明されると、それまで火打石を使って着火させていた人々の生活は一変し、マッチの需要が急激に高まりたくさんの製造工場ができました。マッチ棒はリンが調合された液体に木片を浸し、それを乾燥させてから細かく切断して作ります。工場では子どもや女性が長時間労働することでマッチの需要を支えていましたが、次第に工場で謎の病気が発生します。
まず歯と顎が痛み出し、それから下顎が腫れ上がり、顎の骨が損傷し壊死、脳の障害を引き起こすこともありました。しかも発症した人々の歯茎は暗い場所だと緑がかった白色に光ったのです。当時は「白リン顎」と呼ばれましたが、これはマッチ製造の工程で利用する白リンを吸い込んだことが原因でした。
赤リンを使用すればこの病気を防げたのですが、高価だったため安価な白リンが使われ続け、ようやく使用禁止となったのは1910年。それまで貧しい子どもや女性は有害な白リンを吸い込み続けたのです。
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