それぞれ、文字どおりの意味とは別の、もうひとつの意味をもっているわけなのですが、じつは今の若い人たちには、そっちのほうはビックリするほど通じません。
今挙げた2例以外にも日本語には、こうした「リバーシブルな」言葉が多数あるにもかかわらず……。
かつての日本社会なら、日本人同士で当たり前のように通じた日本語が、むなしく空回りすることが多いのだと、年配者のほうは、ふだんからよく肝に銘じておく必要があります。
遠回りな言い方など、今の若者には無用?
そもそも日本語は、何かの言葉の裏にもうひとつの意味を含ませる、というやっかいなことを何故しているのでしょう。
それは、物事をズバリ言い表さずに、できるだけ婉曲に言おうとする特徴を日本語がもっているから、と言えます。
会話の相手の心情をできるだけ穏やかに留めようとするわけなのですね。ちょっと言いづらかったり、言葉を少し和らげたりしたいときなどに、とりわけその傾向が見られるようです。
たとえば次のように――
●「たまたま耳に挟んだもので」←(聞こうとしていたわけではなく、ふと聞いてしまった言い訳として)
しかし、スマホの短いメール文字だけで用件を済ます昨今、ただでさえ文字数が増える言い方を若者たちがするはずがなく、第一、こうした「遠回りな」言葉にはあまり接したことがないという若者もけっこういるのには驚かされます。
おそらく日常生活のなかで、年長の人々と、ゆったり話をする機会が格段に減っているからなのかもしれませんが、このままでは、世代間のコミュニケーションの溝は、どこまでも拡がっていってしまうでしょう。
語彙数を身の回りからどんどん削ぎ落していくのは、生きるための説明力や相手に対する理解力などが劣っていくのに等しいこと。
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