「戦場での取材」私たちが知らないリアルな裏側 渡部陽一さん「戦地には絶対に1人では行かない」
戦場カメラマンとして、戦いや残虐な光景そのものにカメラを向けることもあります。しかし、その悲しい戦争が起きている街や村で暮らす人たちの日常を撮ることを自分の使命と考えています。
例えばどのように水を確保しているのか、生まれたばかりの赤ちゃんをどうケアしているのか、結婚式の衣装をどう調達するのか。取材をしていると日本で家族や友人、近所の方たちとつながりあう関係性が、世界中どこの紛争地や戦地でも見えてきます。戦場の日常を記録に残していくこと。それが取材の大きな柱になっています。
僕は「晴れ、そしてミサイル」という言葉に、戦場に暮らす人々にも、僕たちと同じように家族や友人との暮らしを慈しむ温かな時間がある、という現実を知ってもらいたい、と願いを込めました。彼らには外部から来た僕たちのような人間を温かく迎え入れる「寛容さ」もあります。
しかし、ごく普通の暮らしの中で残虐な行為が繰り返されている、というのも事実です。この日々繰り返される状況を表現するために「晴れ、そしてミサイル」というタイトルを付けました。
戦地に訪れる「晴れ」の瞬間
――ミサイルが連日のように落とされている、パレスチナ自治区・ガザのような場所であっても「晴れ」の瞬間はあると考えていますか。
激しい戦時下であっても、家族や友人と共有する時間は、何よりそこで生きていく人たちにとって大切な心の支えになっているはずです。日本にいると見ているだけで悲しくなる映像はたくさん流れてきます。
しかし、そのような場所にも人間らしい思いやりや優しさを持った人たちが今、この瞬間も生きている、ということに気づいてもらえたら、と願っています。
――ウクライナではイルピンやブチャなど一般市民が大量に虐殺された一帯を取材されています。
2022年5月、ロシアの軍事侵攻後初めてウクライナに入りました。イルピンやブチャで取材し、はっきり確認できたこと。それは、ロシアがウクライナ領内で繰り返し行ってきたことは一般市民を狙った大量虐殺、ジェノサイドだということです。
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