「戦場での取材」私たちが知らないリアルな裏側 渡部陽一さん「戦地には絶対に1人では行かない」

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激しい攻撃を受け焼き尽くされた一般市民の家、蜂の巣のような銃撃痕が残る乗用車、無惨に殺害された遺体の数々……。一般市民の大量虐殺は国家権力で情報統制され、その事実が伏せられてしまうこともあります。戦場カメラマンはその事実を明らかにするため、写真によって戦争犯罪の証拠を集める役割もあるのです。

「戦争の犠牲者はいつも子どもたち」

――戦場カメラマンになったきっかけも、ジェノサイドだったそうですね。

20歳のとき、大学の授業で知った狩猟民族・ムブティ族に会いたいとバックパッカーでアフリカへ向かいました。しかし現地に降り立つと、ジャングルの一帯ではルワンダ内戦が勃発し、民族間の衝突によって100万人近い方々が犠牲になっていたのです。しかし血だらけの子どもたちが目の前で泣いていても、学生だった僕は1人も助けられませんでした。

渡部陽一さん
渡部陽一(わたなべ・よういち)/1972年、静岡県生まれ。明治学院大学法学部法律学科卒業。学生時代から世界の紛争地域を専門に取材を続ける。戦場の悲劇、そこで暮らす人々の生きた声に耳を傾け、極限の状況に立たされる家族の絆を見据える。イラク戦争では米軍従軍(EMBED)取材を経験。これまでの主な取材地はイラク戦争のほかルワンダ内戦、コソボ紛争、チェチェン紛争、ソマリア内戦、アフガニスタン紛争、コロンビア左翼ゲリラ解放戦線、スーダン、ダルフール紛争、パレスチナ紛争、ロシア・ウクライナ紛争など(撮影:尾形文繁)
『晴れ、そしてミサイル』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

そのときの無力感から自分にできることは何かを考えました。思いついたのが子どものころから好きだったカメラで戦地を撮影し、1人でも多くの人に戦争の犠牲になっている子どもたちの姿を知ってもらいたい、ということ。「戦場カメラマンになる」という“鉄の杭”が自分の心に打ち込まれた瞬間でした。

その後、31年にわたって戦地での撮影を続けてきました。戦争や紛争は民族や宗教の違い、資源や領土をめぐる問題など、さまざまな理由で起こりますが、どの戦場でも変わらなかったこと。それは「戦争の犠牲者はいつも子どもたち」だという現実です。

戦争で傷つき、泣いている子どもたちの声を世界へ届けるため、危機管理を徹底しながら僕はこれからも戦地でシャッターを切り続けるつもりです。

吉岡 名保恵 ライター/エディター

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よしおか なおえ / Naoe Yoshioka

1975年和歌山県生まれ。同志社大学を卒業後、地方紙記者を経て現在はフリーのライター/エディターとして活動。2023年から東洋経済オンライン編集部に所属。大学時代にグライダー(滑空機)を始め、(公社)日本滑空協会の機関誌で編集長も務めている。

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