ウクライナ侵攻、医療者去った前線の村々の現状 残ったのは高齢者と貧困層「選択肢のない日々」

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ポーランドから陸路入国し、東に進む車窓から見た風景は、行き交う商用トラックや路面電車、スーパーに雑貨屋、そして日常生活のなかでにぎわう軽装の人々の姿で、そこは観光地と錯覚してもおかしくなかった。

しかし、ウクライナ東部にあるドニプロを過ぎてドンバス地方に入ると、一般車両の数は激減し、代わりに軍用車や軍関係者の姿が目につくようになる。空襲警報の頻度も段違いに増えていった。戒厳令下のドネツク州では夜9時以降は外出禁止、夜8時には街から人の気配は消えていた。

2022年2月24日にロシアのウクライナに対する軍事作戦が開始されてから1年3カ月が経っていた。MSFは継続して緊急援助の対象としてとらえ、医療・人道援助活動を展開している。

活動は、国内避難民援助や医療施設支援、列車と車両による救急医療搬送支援、医薬品提供、理学療法、心のケア、プライマリー・ヘルスケア(基礎医療)、越冬支援など多岐にわたり、2022年度のウクライナでの活動予算は4810万ユーロ(約76億円)に上った。

今回、私が派遣された地はドンバス地方ドネツク州。紛争前線から50キロほどに位置する町、スラビャンスクとポクロフスクに拠点を構えていた。

MSFは刻々と変化するニーズに応じて活動を展開してきた。

戦闘激化から1年以上が経つと、避難民を取り巻く環境は変わり、人々が直面する事情も多様化してきた。

私は昨年の8月から10月にもウクライナ東部で活動に参加したのだが、約半年ぶりに現地に赴いて、明らかに変化を感じた。それは、前線を超えた人々の行き来がなくなっていたこと、州内でも比較的安全と思われる都市には人々が戻ってきていたことだった。

ただ、それは安全上のリスクがなくなったからではない。いったんは州外の都市部に避難したものの、そこでの暮らしは精神的、経済的負担が大きく、避難生活に限界を感じたため、という話を現地ではよく耳にした。

ウクライナにおけるMSFの活動
ウクライナにおけるMSFの活動。2023年6月3日時点©MSF

医療サービスの途絶えた村々

首都キーウおよびリビウ、ドニプロなどの大都市では、救急救命や高度な医療を提供できる医療施設があり、空爆などの大規模攻撃にも対応できる態勢は整っているといえる。一方、遠隔地、とりわけ前線に近い地域の村々の状況は、それとは大きく異なる。

医療サービスが途絶えた村々に残った人々は、病やケガで生命の危機に直面したとき、それを受け入れる以外の選択肢がない環境での生活を強いられていた。

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