ウクライナ侵攻、医療者去った前線の村々の現状 残ったのは高齢者と貧困層「選択肢のない日々」

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診療はかつて医療サービスが提供されていたFAP(First Aid Point)と呼ばれる施設や、使われなくなった学校、幼稚園など公共の建物の一角を利用した。

現場での滞在時間を極力短く抑えるため、診察する患者は事前了解をとった人だけに制限したが、それでも実際行ってみると、多くの患者が待っていることがあった。

遠方から歩いてきた高齢の患者の目を見て断ることが、どれほど心苦しいことか想像するにかたくないだろう。また、自力で診療場所まで来られない患者のために、訪問診療を頼まれるのはいつものことだった。

紛争地域での移動診療は、数十分間、数百メートルの差が安全リスク管理上、大きな意味を持つ。鳴りやまない砲弾の音のもとで診察することは稀ではない。道中、どこからか発射されたミサイルの閃光と煙の下を通過することもあった。

ドネツク州内でも最前線から少し離れた行政区画の中核都市の状況は、遠隔地とは異なる。

例えば、MSFの拠点があったポクロフスク、スラビャンスクや活動地域内にあるクラマトルスクなどには、病院、行政、軍関係施設など、基幹となるインフラが集まり、複合商業施設さえある。

空爆は日常的ではないが、有事となると被害の規模は大きくなる。警報が発令されない状況で空爆を受けるケースも多い。私の3カ月間の派遣期間中だけで、少なくとも10回以上の攻撃があった。

空を引き裂くかのような音

8月7日午後5時過ぎ、2発のミサイルがポクロフスクの街を襲った。

最初の1発は1階にカフェがある集合住宅を直撃。その40分後、鋭利なもので空を引き裂くかのような音に続いて、爆発音が響いた。ガラス飛散防止フィルムを貼った窓ガラスは強い衝撃でたわみ、直後に煙が上がった。

現場はMSFの宿舎から約800メートル。2発のミサイルにより7人が命を落とし、81人が負傷した。1発目の空爆直後に現場に急行し救助活動をしていた消防士や警察官の多くが負傷し、殉職者も出た。

夜を徹した捜索・救出活動により重傷者は即、病院に搬送された。翌朝、周辺の建物では飛散した窓ガラスの破片で負傷した人たちが見られた。

MSFは病院、当局と連絡をとりながら、病院に医療器具と医薬品を提供するとともに、現場では軽傷者の処置と応急心理ケア(PFA=Psychological First Aid)に取り掛かった。ケアを受けた人のなかには一般市民だけでなく、レスキュー隊員も含まれていた。

住民は、いたるところに飛び散った窓ガラスの破片を片付け、援助団体から配給された資材でふきさらしになった窓を応急的に塞いでいた。

体力がない高齢者はアパートから出て助けを求めたものの、皆それぞれが忙しく右往左往しており、とはいえ自分では重い資材や大工道具を運ぶことができるわけでもなく、途方に暮れていた。

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