MSFは2014年のロシア軍によるクリミアおよびウクライナ東部への侵攻時にも活動し、遠隔地での医療体制の脆弱性を認識していた。それだけに、今回の軍事侵攻が及ぼす影響についても大きな懸念を抱いていたが、事実、遠隔地の医療体制は急激に悪化した。
かつて人口1000人規模だった村は、半減どころか数百人のレベルにまで減少していた。
退避できる者は村を去り、村に残った人びとの多くは年金生活者の高齢者だった。砲弾の音はほぼ毎日のように村の周りのどこかで響いていて、不発弾のリスクさえあり、村人は極力外出を避けていた。
危篤状態であれば救急車を電話で呼べるが、いつ手配されるか保証はない。そうかといって、なけなしのわずかな年金を使ってタクシーを呼ぶこともむずかしい。
多くの医療従事者は村を去り、医薬品もままならず、フェルザーと呼ばれる地域医療の従事者がいくつかの村々をかけもってその場をしのいでいたが、限界があった。数少ない雑貨店や薬局は姿を消し、いつ来るかわからない人道援助物資に依存していた。
このような理由から、私が統括したプロジェクトは基礎医療の援助に踏み切った。医療サービスが途絶えた村々で、移動診療を通じた基礎医療と心理的サポートを軸とした活動を開始した。
安全リスクと医療的価値のはざまで
私の赴任後の6月末時点で、MSFのチームは前線から約30キロ圏内に点在する200以上の村(総推定人口約2万5000人)と連絡を取り、状況を把握。活動場所を特定し、移動診療の範囲を大幅に拡大した。村に残っていた人々は数百人程度かそれ以下でも、半径数キロの範囲で括ってみれば千人単位になった。
活動場所を特定するにいたる議論のなかで最も悩ましかったのは、安全上のリスクと、リスクをとって提供できる医療的価値のバランスだった。
過去1年間直接砲撃を受けたことがなかった訪問予定の村に訪問前日、砲弾が着弾したこともあった。現場の情勢が安定していても、道中の情勢が不安定なこともある。移動診療に使う車両自体が被弾するリスクもあった。安全確保のため、状況を“読む”ことが必要とされた。
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