ガザ危機「10月7日、私はミサイルの音で目覚めた」 現地で支援活動した日本人が語る恐怖と「感謝」

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イスラエル軍の攻撃
12月1日、イスラエル軍の攻撃で負傷し、病院に運ばれる子ども=ガザ地区中部デールバラハ(ゲッティ=共同)
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10月7日朝6時半。国境なき医師団の一員としてガザ中心部の宿舎にいた私は、ミサイルと爆発の音で目を覚ました。窓を開けると、目の前のビルのうしろから無数のミサイルが打ち上げられているのが見えた。

それを境にガザの日常は一変した。私もそれから約1カ月、昼夜にわたり空爆が続くなかで、避難の日々を送ることになったのだ──。

ガザ地区の死者は約1万5000人超

イスラエル軍とハマスとの衝突の激化から2カ月が経とうとしている。一般市民の命が奪われ続け、報道によると、死者数は双方の当局によるとイスラエルで約1200人、パレスチナ・ガザ地区で約1万5000人超に上る(12月1日時点)。

国境なき医師団(以下、Médecins Sans Frontièresの略称からMSFと表記)のスタッフとして今年5月からガザ地区に派遣され、26日間にわたる避難生活を経て11月5日に帰国した白根麻衣子が語る。

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