ミャンマー大地震から1カ月、被災地で奮闘する日本人医師、被災者間の互助精神でゆっくりと復旧へ、今後は感染症対策がカギ

「地震や」
2025年3月28日12時50分(日本時間15時20分)、ミャンマー中部・マンダレー近郊を震源とするマグニチュード7.7の大地震が発生しました。
その震源地にほど近い活動拠点である病院から日本事務所本部スタッフと電話で打ち合わせしている最中、突如その言葉を発した後、音信不通となったのが、国際医療NGO「ジャパンハート」の最高顧問である吉岡秀人医師でした。
打ち合わせ最中に「地震や」と反射的に言葉に発したものの、ミャンマーで地震が起こるという発想はなく、ドーンという地響きのような揺れだったことから、「内戦で生じた攻撃による衝撃」だと感じたそうです。
ちょうどその日は「国軍記念日」の翌日ということもあり、村人の半分ほどが避難していた日でもありました。
外国人立ち入り禁止地域で
ミャンマーでは、2021年2月1日にクーデターが発生し、その後は軍と反対勢力との間で内戦が続いています。ジャパンハートのミャンマーにおける活動拠点である「ワッチェ慈善病院」は、戦闘が激化しているミャンマー北部・サガイン管区に位置しており、現在は外国人の立ち入りが制限されている地域です。
そのような厳しい情勢の中にあっても、吉岡医師は特別な存在として現地に受け入れられており、毎月およそ1週間、現地入りして医療活動を継続しています。今回の地震も、まさにその現地活動中に遭遇したものでした。
地震の最初の揺れが収まったとき、「これは地震だ」と気づきました。ある程度揺れが収まったところで病院内を見渡すと、至る所で壁が剥がれ落ち、書類や戸棚が崩れ落ちており、「これは危険だ」と直感しました。すぐに、院内の患者たちを外に避難させるよう指示しました。

地震直後、麻酔をかけた後の患者を手術室から避難させた(撮影・吉岡秀人医師)
13時から手術を予定していた患者の様子を確認すると、ちょうど全身麻酔を投与し、気管内挿管をスムーズに行うため筋弛緩薬を投与した直後であることがわかりました。患者は自力で呼吸できない状態にあり、人工呼吸が必要な緊急事態でした。
地震の発生と同時に停電も起こりましたが、もともとこの地域では停電が頻発していたため、人工呼吸器はバッテリーで稼働しており、当面は様子を見ることにしました。1回目の地震後、緊急避難によりほとんどの患者を屋外へ避難させましたが、手術後の患者ら数人が院内に残っていました。
決死の覚悟で患者を屋外へ搬送
1回目の地震から約10分後、2回目のさらに大きな揺れが襲ってきました。2回目の地震がある程度収まった時点で、倒壊の危険性が高いと判断し、呼吸ができない患者を含む、院内の残った患者らを決死の覚悟で屋外へ搬送しました。
病院内の患者たちをある程度建物の外へ避難させたことを確認した後、吉岡医師は屋外に出て、損壊の激しい隣の病院棟の様子を確認しに向かおうとしました。

病院の外へ避難した人を治療する吉岡医師(撮影・ジャパンハート)
しかし、そのとき病院スタッフから「危険だからやめたほうがいい」と声をかけられ、思いとどまります。
するとその直後、隣の病棟の1階部分が崩落しました。
「もしあのままあの病棟を見に行っていたら、今ごろ建物の下敷きになっていたでしょう」と、吉岡医師は九死に一生を得た瞬間を振り返りました。
周辺の道路や橋が倒壊・崩落し、被災者たちは病院まで容易にたどり着けない状況でしたが、それでも倒壊に巻き込まれ、頭部を損傷したとみられる患者らが次々と運ばれてきました。
その患者には、屋外のベンチの上で緊急手術として顔面の縫合処置が施されるなど、しばらくの間はまさに野戦病院さながらの対応が、気温摂氏40度近い炎天下の下で続けられていたようです。
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