「絶望はない」ミャンマー人難民に35年間医療従事 カレン族の医師シンシア・マウンさんに聞く
戦闘で増える重傷者
ミャンマーのヤンゴン近郊で生まれたマウンさんは大学医学部を卒業後、自身のルーツであるカレン族の無医村で医療活動に従事していたが、1988年、学生を中心に盛り上がった民主化運動がミャンマー国軍に弾圧された際、国境を越えてタイ北西部の町メーソートに逃れた。翌1989年、7人の仲間とメータオ・クリニックを立ち上げた。
以来、タイに逃れた同胞や国境を越えてミャンマー側から来た人たちに医療を提供してきた。ほとんどの人は医療費を払えないため、診察や治療は原則無料だ。公的機関ではないことから、運営資金はタイや外国政府、国際機関の支援、民間からの寄付に頼っている。
マウンさんは2002年にマグサイサイ賞を受賞した。翌2003年には『タイム』誌が「アジアの英雄」のひとりに選び、2005年にはノーベル平和賞の候補にもノミネートされた。
2024年11月13日、マウンさんは講演で訪れた大阪市内で質問に答えてくれた。
――クリニックの現況は。
2013年に現在の場所に移り、内科、外科、小児科、歯科、眼科、産婦人科を設けて約400人のスタッフで切り盛りしています。ほかに小人数の医療従事者がチームを組んでミャンマー国内の無医村地域を巡回しています。教育分野では、タイの公教育の枠から外れた子どもたちを対象に学校や孤児院を運営し、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)の予防啓発など保健教育にも力を入れています。
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