コミュニケーションにおいて、「聞く力」は実は「主役」なのだが、「準主役」どころか、「端役」の扱いも受けてこなかった。セリフが多くて派手な「話し方」や、学校でみっちり時間をかけて教育される「読み書き」ばかりに注目が行き、「聞き方」の方法など学んだことがない、という人も多いだろう。最近でこそ、「傾聴力」などという言葉も登場し、社員研修などでも取り入れられるテーマになってきているようで、私も研修を受けた覚えがあるが、結局、何ひとつ実践することはなかった。
しかしコミュニケーションに使う時間の、実に45%が聞くことに費やされ、話す(30%)、読む(16%)、書く(9%)を大きく上回っている。
年齢とともに衰える「聞く力」
一方で、最近はネットの普及に伴い、流通する情報量が飛躍的に増大し、“腕力”の強い動画やソーシャルメディアの情報の氾濫で、地味な「聞くこと」はますます日陰に追いやられている。
人の「聞く力」は、年齢とともに衰える。ミネソタ大学の調査によれば、小学校1年生から高校生までを対象にして、話している内容に対する傾聴力を調べたところ、小学校1年生が90%以上だったのに対し、中学生は44%、高校生では28%まで下がったという。また、音楽ストリーミングサービスのSpotifyのユーザーを対象にした調査では、人は10代、20代を通じてさまざまなジャンルの音楽を聴いてみようとするが、33歳を境に新しい音楽を聴こうとしなくなるのだそうだ。
「年を取れば取るほど、人の話を聞かない……」とよく言われるが、これは科学的にも根拠のある話らしい。
高齢化の進む日本社会は、ますます人の話を「聞かない」社会になっていく可能性があるということだ。思い思いに、人々が自分の主張ばかりを押し付ける「クレーマー社会」の兆しは確かに表れ始めている気がする。だからこそ、「聞くことの価値」をもう一度見直し、「聞く力」を高めることが重要ではないだろうか。それでは、どのようにしたらいいか。
前回の記事で、「恥ずかしさ」を克服し、知らない人とどのように話し、ネットワークを広げていくのかについて取り上げ、その中で、「相手を思いやる気持ちが『恥ずかしさ』を克服し、人脈を広げるカギになる」とご紹介したが、コミュニケーションカリスマの条件は、まさに相手のことに心底興味を持ち、聞こうとする「思いやり」の姿勢にある。
つまり、自分が話したい気持ちを抑えて、相手の話をまず聞くことを優先させるということだ。これは意外に難しい。脳科学的に見ても、自分に注目が集まり、自分が主役になって話すことを快感に感じる人が多い、ということは実証されている。それだけに、自分ではなく、他人に主人公を譲ることは簡単ではないのだ。この自己抑制のスキルは「エゴ・サスペンション」と呼ばれ、会話や人間関係の構築や促進の重要な要素となっている。
では、実際にどのように「サスペンション」をかければいいのだろうか?
無料会員登録はこちら
ログインはこちら