成田修造、貧困家庭出身から成功できた意外な訳 「戦略的放任」が子どもの潜在力を引き出す
生まれたのは東京都北区。4歳上の兄、成田悠輔が「ゴキブリが出てきて朝起きるみたいな、もうダメダメの典型みたいな家庭」と話したことがあります。ワンルームに家族4人。お金がないどころか借金まみれ、生きていくのがギリギリの底辺生活でした。
父は働くことを嫌って定職には就かず、いつもプラプラ。哲学や文学に通じた知識人でありながら、パチンコ、麻雀、酒、タバコに目がない人でした。ギャンブルをしては負け込んで、消費者金融からお金を借りることを繰り返していました。
あげくに、ぼくが14歳のときに失踪します。「人生をやり直したい」という衝撃的なひと言と、多額の借金を残して。
さらに母が脳出血を起こして倒れました。ぼくが17歳のときのことです。母は一命を取りとめたものの、右半身不随となりました。
そんな家庭でサバイブしてきたぼくに、教育について語る権利があるのか? と思う人もいるかもしれません。ですが、両親の影響は間違いなく大きく、今のぼくたちを創るもととなりました。また、そうした「普通」とは違う家庭環境だったからこそ、「子ども(人)を育てるとはどういうことか」「才能を伸ばし、幸せな人生を創造する力を育てるにはどうしたらいいのか」といったことを考え続け、学び、実践と修正を繰り返してもきたのです。
親は、子を縛ってはいけない。子は、親に縛られてはいけない
父からの影響。その一つは、「自分の目で見て、自分の頭で考える力」だったと思います。父は博識で、書棚には多種多様な書籍が並んでいました。そして、物事をまっすぐに見ない人でした。
とくにメディアのあり方には懐疑的で、「テレビで放送されていることが真実だと、どうして思うんだ? 間違っている可能性もあるのだから、たやすく同調してはいけない」と教えられました。父の影響を受け、ぼくにも世の中を斜めに見るクセ、人の意見を真に受けないクセが身についていました。小学校でも「先生の言うことを聞かない問題児」で、先生からは「態度が悪い」「反抗的」と怒られてばかり。
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