母親が失踪し妹弟と6人で暮らした18歳少女の現実 家事や学校の手続きも「母の代わり」にやった
「ヤングケアラー」とは、何らかの困難を抱えた家族を心配し気づかい、そこから逃れることができない子どもたちのこと。大阪・西成地区をはじめ、子育てや看護の現場でフィールドワークで知られる大阪大学教授の村上靖彦さん(専門は現象学)は、そのように考えていると言います。
身体的な介護や家事労働に時間を取られ、学校に通えない子どもといったイメージが固定化しがちですが、実際には、「目で見てわかる介護・家事」をしていないヤングケラーもいます。
村上さんは、こうした社会一般のイメージと現実との乖離を危惧し、ヤングケアラー経験者へのインタビューを重ねてきました。そして、その「語り」を丁寧に分析し、当事者が抱える困難の本質、その多様さを掘り下げながら、ヤングケアラー、さらには、あらゆる子どもにとっての「居場所」の重要性を論じています。
ここでは、新刊『「ヤングケアラー」とは誰か 家族を“気づかう”子どもたちの孤立』から一部抜粋・改変し、かつてのヤングケアラーで、インタビュー当時40代の女性、大谷純さんのケースを紹介します。
簡易宿所での6人暮らし
大谷さんは大阪市西成区で生まれ育った40代の女性である。インタビューはこの西成区にある認定NPO法人こどもの里の2階「しずかなおへや」でお願いした。この「こどもの里」は、子どもの自由な遊び場として始まったが、ファミリーホームも運営しており、ショートステイや子どもの緊急一時保護も引き受けている。
大谷さんと私は以前から、わかくさ保育園で行われていた社会問題研究会などで顔見知りだ。インタビューでは子どもの頃の西成の様子、成人後の大谷さんや弟たちの暮らしなど、さまざまなことが語られたが、ここではヤングケアラーと居場所というテーマに絞り込んで紹介する。
大谷さんは、こどもの里が今の場所に移ってきた1980年から通い始め、今でも手伝いにしばしば顔を出している。子ども時代の大谷さんは極度の貧困のなかにいただけでなく、高校に進学する時期まで戸籍を持たなかった。
子どもの頃、大谷さん一家はドヤと呼ばれる日雇い労働者向けの簡易宿所に住んでいた。
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