2浪大学合格後も「教員試験で2浪」彼が貫いた志 幼馴染がきっかけで障害児教育に興味を抱く

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Yさんは群馬県で、警察官の父親と専業主婦の母親のもとに生まれました。両親はともに工業高校と商業高校を卒業し、大学受験とは縁のない家庭でした。

「父親はギャンブルで数百万円単位の借金を作ったり、女性の家に行って帰ってこなかったりと、遊び人だったので、家庭環境はあまりいいとは言えませんでした」

そんな彼の幼少期は、手のかからないおとなしい子どもだったそうです。公立小学校・公立中学校に進んだ彼は、中学校3年生から受験勉強にスパートをかけ、偏差値60程度の地元の公立進学校に進学しました。

しかし、優等生だった彼は、高校進学を機に勉強をまったくしなくなってしまいます。その結果、高校1年生のときはずっと成績がほぼ最下位で推移していました。

「やりたいことや将来の夢は特にありませんでした。勉強も身が入らずに順位はだいたい240人中235位でした。1年生から2年生に上がるときは、赤点を取っていたので進級が難しく『仮』進級扱いだったくらいです。先生にお情けでやってもらった、進級するための『単位追認テスト』でも不合格になり、暗記したものとまったく同じ問題が出る『単位追認追認テスト』をやってもらって、なんとか進級できました。3年生に上がるときもまったく同じ流れでしたね」

幼馴染がきっかけで障害児教育に興味を抱く

そんな彼は進路を決める高校3年生の1学期になってから、教育学部への進学に興味を持つようになり、地元の群馬大学教育学部の障害児教育専攻を志望校に設定しました。

「幼馴染が筋ジストロフィーという病気で特別支援学校に通っていたんです。その姿を小さい頃から見ていたので、障害児教育に興味を持って学んでみたいと思うようになり、障害児教育を学べる教育学部がある大学を志望校にしようと決めたんです」

しかし、最高学年になって初めて受験勉強に本腰を入れる決意をした彼にとってこの決断は前途多難でした。

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