「でも、そのラベルは自分の心身や生き方を縛る枷になってしまうんですよね。何者であろうとも、どんな病になったとしても、その人は死ぬまでその人です。自分がやりたいことを自分にしかない人生を、最期の瞬間まで自由に全うしていい。
写真家・藤原新也さんの写真集『メメント・モリ』の中に、「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」という言葉があります。本当にそのとおり。人間は、どう生きるのかが自由であるように、どう死ぬのかも自由です」
仕事に生きてきた男が、人生の最期に願うこと
高校卒業後は病院のバイトを離れて、演劇に打ち込んだ。複雑だった家族関係から早く距離を置きたい思いもあって、20歳のときに結婚。家庭を築き、出産も経験した。
バースセラピストとして初めて本格的にターミナルケアに関わったのは、27歳のとき。知人から頼まれてのことだった。
「知人の方に、『親戚の男性が大病にかかってしまって、あなたにぜひ会いたいと言っている』と。自分がその方に何ができるのかもわからず、とにかく会いに行きました。ただおしゃべりしていただけなんですけど、そのうち、『何だかお腹が空いた』とおっしゃって。すでに何も食べられなくなっていた時期だったんですけど、食欲が湧いてきたというので、雑炊を作ってみたら美味しそうに食べてくれたんです。奥様がとても喜ばれて、『またぜひ遊びにきてください』と。
当時の私は、時間に余裕もあったから、時々、遊びに行って話を聞いていたんです。そのうち、彼自身から『死ぬときにそばにいてほしい』と。そばにいようと思いました」
その後、人づてに話が広がり、多くのターミナルケアの依頼が舞い込むようになった。
「でも、お引き受けできるのは1年に1人か2人。私は医療従事者ではありませんし。私にとってターミナルケアは、仕事ではなく、ボランティアです。あくまでもその人にとって、最期に出会えたお友達なんです」
とはいえ、季世恵さんがたくさんの出会いと経験から生み出した、独自のターミナルケアは、多くの医療関係者からも注目を浴び、リスペクトされている。
具体的にはどんなことをするのだろう?
「お話を聞くことが中心ですが、一緒に遊んだりもします。お散歩したり、外出して自然の中で大地を感じ裸足で歩いたり。家や病室から出られなくなった時には、オセロゲームしたり、トランプしたりも。子どもの頃みたいに、ただの友達同士として他愛もない遊びをします。すると、その人からポツポツとそれまでとは違った素直な言葉が出てきたりするから、それにポツリポツリと応えたりします」
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