樹木希林さんに寄り添ったセラピストが語る人生 「私が私でいるために、あなたにそばにいてほしい」

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「3歳で大好きだった伯父が突然亡くなり死というものを知りました。当時父も大病を患っていたのでお父さんも伯父さんのようにいなくなってしまうかもしれないという不安がつきまといました。一方で誕生もあったのです。姉とは歳が離れていたので、小学校1年の頃には姪が誕生して、私は7歳で叔母さんになりました。とてもうれしかったのを覚えています。命は突然消えたり、やってきたりする。幼いうちから、人の生も死もコントロールできないものなのだと気付かされました。

さらには、多くの家庭とは異なる家族の形態でしたし、家族間では、ほかにも大きな出来事が定期的に起こっていて。両親からの愛は受けていても、精神的につらいことは多々つねにあった。不幸と幸せはつねに混在していることも学びました」

どう生きるのも、どう死ぬのも自由なのに

初めて、家族以外の他者の病や死に関わったのは高校時代だ。

「私は10歳から演劇を学んでいたんですけど、演劇は『常日頃、人間を観ること』が大切だと教わりました。家族間で起きることを観ることで、そのときに起きている感情に気付くこともできました。あるとき、父の友人の医師から大学病院の放射線科でその先生の部屋の書物の整理をするアルバイトをしないかと誘っていただき病院に通うことになったのです。

そこにはがん末期の患者さんたちが数多くいらっしゃって。時々お話のお相手もしていました。

あるとき、一度は元気になって退院された方が、再び病院に戻っていらした。季世恵ちゃんに会いたいからと呼ばれて行ったら、『以前、あなたに言われた言葉がうれしかった』と。

その方は初対面時に『○○肺がんの、○○です』と自己紹介したのです。高校生だった私が『私には、肺がんの……なんて枕詞は使わないでお名前だけでいいですよ。いらないです。たまたまがんになっただけだから、ただの○○さんでしょう?』と返したと。自分では覚えていなかったんですけどね」

大病を告知された人は、往々にして、病が自分の属性だと思ってしまうものだという。

「その方もそうでした。それまでの自分についていたあらゆる肩書きは消えて、さらには、自分自身すらも消えて、“がんでもうすぐ死ぬ男”になってしまっていたのだとおっしゃっていた。『でも、あなたの言葉を聞いて、僕は“ただの僕”なんだと思えてラクになれた。そのお礼が言いたかったし、これからもその言葉を誰かに伝え続けてほしい』と言われました」

言うまでもなく、人間の本質は肩書きや持ち物などにはない。もちろん、どんな病にかかったかも関係ない。けれど、弱さを抱えた人間は知らず知らずのうちに、他者にも自分にも、肩書きや年齢や属性などのラベルをつけてしまう。“病”というラベルも同じこと。そうして、その本質に向き合うことから逃げてしまうのだ。

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