季世恵さんの新刊『エールは消えない』には、希林さんを含め、彼女が寄り添ってきた故人の最期や思いのやり取りなどのエピソードがつづられている。ちなみに本作の帯には、希林さんがコメントを寄せている。
「希林さんが生前、プレゼントしてくださったものです。『あなたはまたきっと本を書くから、未来の本の分の帯も書いておくよ』と。これもいただいたエールの1つですよね」
死ぬことに向き合って見えてくるもの
「この本を書こうと思ったきっかけは、昨年、中学生になった勇くんという男の子の友人の存在でした。彼は幼い頃に母親を自死で亡くして。その後は、祖母が母親代わりになって愛を注いでくれましたが、中学生になり、父親と2人暮らしをすることになり祖母と離れることになりました。つまり、二度もお母さんのような大きな存在との別れを経験した男の子です。きっと大きな喪失感を味わっているであろう、彼の羅針盤になるような本を書きたいと思いました。
身近な人の死を経験して、生きることに迷っている人へ。生きることはもちろん、死ぬことについて前向きに考えられるような……」
季世恵さん自身も、本作の執筆中に母親を亡くした。
「私は人生のほとんどを母と共に暮らしてきたので、やはり、心にぽっかりと大きな穴が空いたのを感じました。生きとし生けるものとのお別れは必ずあるものだけど、それを知っていても、慣れないのが人間なんでしょうね。
母は生きることに最期まで前向きな人でした。世の中には死を受け入れて自分のものにしている人と、拒絶している人がいますが、母は後者。断固として受け入れず、最後まで生きることを願い、積極的に抗がん剤を打っていた。
でも、言い換えれば、母は死ぬまで現役だったんです。亡くなる10日ほど前に私と夫に向かい「戦力になれずにごめなさい」と言ったとき私は泣きました。そんなふうに思っていたのかと。仕事で遅くなる私に代わり家事や子育てをしてくれていた。それは私と共に戦っていると思っていたのですよね」
たとえ明日死ぬことがわかったとしても、大切なのは、どう死ぬかではなくてどう生きるかだと季世恵さんはいう。
「死は生の積み重ねの先にしかないし。死ぬまで生きているんですから。これは、私が出会って、最期を共にした方々も、同じことをおっしゃっていました。
希林さんもそうです。死生観を深めることで、より一層生きることを深めることができると。その思いは、シンプルで質素な生活や丁寧な暮らし方にも反映されていたと思います。
だから、死を身近に思うことや、喪失の経験は、生きるうえで必要なとても大切なことなんでしょうね。でも、病気になる前、元気なときに、そんなふうに生きられたらいいのにと思います」
(後編へ続く)
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